都立水商

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  • 小学館 (2001年10月1日発売)
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感想 : 31
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 高等学校というのは戦後教育改革によって生み出された新教育制度の中でもっとも戦後民主主義を具現化した制度であった。戦前の中等教育(旧制の中学校、高等女学校、実業学校)は中堅国民を育成する場であって、特定の選ばれた者だけに享受することが許された学校であった。戦後の六・三・三制の単線型教育階梯は義務教育を中学校までの九ヶ年に延長し、新たに(新制の)高等学校を設置した。すぐに形骸化したものの新制高校の設置理念はいわゆる高校三原則というものに象徴されていた。高校三原則というのは男女共学、小学区制、総合制をいう。これが崩壊したのは一部実業系や高等女学校系の伝統回帰という動きもあったものの、主として旧制中学校の系譜をひく普通科高校へ学力の高い生徒を集めたいという大学進学実績獲得指向が発端であった。高校進学率が急上昇した高度経済成長期に普通科至上主義は拍車をかけて進行していく。昨今では職業系もしくは専門教育系の高等学校はその専門とする職業を希望する生徒が入学するのではなく、普通科に入れなかった生徒たちが不本意ながら入学してくるところと化している。職業高校の役割とは何か、という職業高校自身のアイデンティティを再構築しなければ日本の高校教育は死んでしまいかねないのである。
 本書はそうした現代の職業高校教育のあり方とその根底に流れる職業差別の構造に対する批判的視点をユーモアのオブラートで包んで提供してくれるエンターテイメントである。ある文部官僚が職業高校に関するプライベートな議論の過程で思いついたのが水商売という職業を将来的に選択しようという若者のための高等学校構想であった。とりあえず実験的に新宿歌舞伎町に設立されたのが本書の舞台となる都立水商業高等学校である。
 福岡県出身でこの高校の設立準備から発展にかかわった福岡県出身の一人の教師の目を通して都立水商の中で繰り広げられる十年間の人間ドラマが描かれる。
 この小説が批判の眼を向けているのはまず水商売という職種に対する社会的偏見・差別である。水商売といわれる職業はこの社会の中で必要不可欠な職業であり、相当数の職業人口のいる業界であるにもかかわらず、そこで働く人々の多くが学校教育の逸脱者であり、自尊感情を踏みにじられ剥奪されて、自らの職業である「水商売」にすら自信を持てないというのはおかしいのではないかというのが、この高校の設立の発案者である文部官僚の卓見であった(後に文部大臣に抜擢されるという設定)。
 本書の中ではソープ科やホステス科、ゲイバー科などという課程で学ぶ姿の描写が実におもしろくなされているのだが、そうした楽しみ方について性に対する偏見だとか、女性差別だとか言う人もいるかもしれない。また性的享楽を喜ぶ男の視点でしかない、などと非難する人もいるだろう。しかし、そうした見方のほうが水商売を差別しているのだ、と本書は指摘しているのだ。
 現在、農業、商業、工業といった職業系の高等学校ではどれだけの生徒たちがその専門を将来の職業像と結びつけて選択しているのだろうか。また、高校での学習を通じて自分の生き方に誇りを持つことができるようになっているだろうか(セルフエスティーム)。そうした現在の職業系高等学校が(裏を返せば高等学校教育全体が)陥っている病理をこの小説は揶揄しているのである。もちろん本書は真摯に高校教育問題を抉ろうとしたものではない。基本は娯楽小説なのであるが、娯楽であるが故にその逆転の発想から見えてくるものはおもしろい。
  毎朝生徒が登校して来ると、担任が教室の前で待ち受けていて、厳しい服装
 チェックが始まる
「何だこの髪は? 染めてこんかア!」
 というような描写を見て笑ってしまうより、恥ずかしくなる人もいるだろう。そこには教師のしていることの愚かさが浮き彫りになる。それより、さまざまな社会的偏見の中で自分自身の生き方に自信をつけていく若者たちが描かれているが、そうした行間から実は私たちの前にいる自尊感情を失った生徒たちに対する視線の置き方を学ぶことができる。いや、娯楽小説だから純粋に楽しめばいいのだが、つい真面目に教育小説として読んでしまう性が哀しい。


★★★  こんな同和教育とは遠い不真面目な本を『ウィンズ』が紹介しているということで県同教はきびしい社会的批判にさらされるかもしれない。そうすれば書評子もこの場を追われることであろう。だからもうお会いできないかもしれない。さようなら。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 教育
感想投稿日 : 2010年3月25日
読了日 : 2010年3月25日
本棚登録日 : 2010年3月25日

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