人権を疑え! (新書y)

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著者 : 宮崎哲弥
iamgolgo13or007さん 人権   読み終わった 

 西日本屈指!の人権教育誌『ウィンズ』にこんなふざけた題名の本を採り上げるとしたら、けちょんけちょんに罵倒してポイッしちゃうような書き方を期待されているんだろうね。
 しかし、あたいは敢えて★をいっぱいつけてやる。な~んでか。それはこの本が「人権論の再構成」を社会評論レヴェルで試みようとした(らしい)からでっす(宮崎哲弥「はじめに」8頁)。この本(新書だよ)を読んでいて、昨年の春に福岡県部落解放・人権研究所主催の横田耕一センセの講演を聴いたのを思い出したんだけど~。横田センセも人権という言葉は自明ではないし、国によっても理解はちがうし、これが人権だという定義も無いというようなことを言っていたんですよね、確か…。
 そういう言い方ってさ、人権は絶対的普遍的真理だって信じ込んでいる人には腹も立つことだろうけど、人権ってやっぱりひとつの価値観なんだって思ったほうがいいよね。もっと正確に言えば西洋近代の価値観であって、東洋的な人権やアジア的ないしはアフリカ的人権も人権のひとつの正しい見方としてあるんじゃないかなってこと。
 そんなこと思いながらこの本を読んでみるとけっこうおもしろいんだな。福岡にいると人権問題っていうと部落差別とか、民族差別とか、障害者差別というのがすぐに出てくるけど、この本のなかでは全然出てこない。あるとすれば「問題がないとはいえない。セクハラもあるだろう。在日韓国人・朝鮮人、同和の差別もあるだろう」(192頁)というところくらいなのね。つまり、こういう差別はあって問題だけど、その話はさておきっていうみたいに全然ちがう話をしているようなのね。で、何のことがいちばん書かれているかっていうと「加害者の人権と被害者の人権」のことにほとんどの執筆者が言及しているのよ。だからそっちがこの人たちの問題みたい。つまり、ここに書いている人たちの多くはいわゆる「人権派弁護士」を標的にしているみたいなのね。つまり、法律を盾に人権を語る人たちよね。
 例えばこの本の中で高山文彦っていう人が「実名報道こそが加害者の人権を認め更正を促す行為である」ちゅう文章を書いてるのね。彼は堺通り魔事件というのを取材して〈19歳と半年の少年〉だった犯人をあろうことか『新潮45』という雑誌に実名で書いちゃったちゅうことなのね。新潮社っていうのはみんな知っているように『フォーカス』やら『週刊新潮』やらいうのも出してて、人権に関してはいつも挑発的な出版社ね。だから、少年の実名をあげた文章をうれしそうに載せたんだと思う。
 高山って人は現行少年法に抵触することを承知で書いたワケなんだけど(おんなじことは永山則夫のときに『朝日新聞』だってやったよね)、彼の言い分はそのほうが少年(すぐ成人になったけど)の(高山的)「人権」の尊重だっていうワケ(詳しくは自分で読んでね)。それは一つの主義だとは思うけど、とりあえず彼は犯人から名誉毀損で告訴されたのね。そこまではよくあることとして、実はそこに弁護士が六十八人(民事は一〇人)もついたんだって。すごいよね。ところが、訴訟の結果得られた賠償金は被害者への賠償資金に充てるか、薬物乱用撲滅のNGOに寄付するとか弁護団が声明を出したというのだから、少し変だなって思わない?ぜんぜん筋違いだと思うの、あたしは。そういう経緯を示されるとこの訴訟って何だろう?って思うのよ。名誉毀損されて訴えてんだから、賠償金は黙ってもらえばいいじゃん。被害者への賠償とは別問題で、それはそれで示談でも裁判でもすればいいじゃん、ねぇ。別の裁判を起こして自分の支払うべき賠償金を肩代わりさせるってやっぱりこういう人たちってホントの「人権主義者」じゃないみたい。
 それでさ、一方で被害者の人たちはその町にいられなくなって引っ越していったりしてるらしいのよね。だからここで言われる「人権派弁護士」っていうのはいったい誰を救おうとしているのかがあたしにはわかんない。加害者でもないし、被害者でもない。著者の高山被告!は「現行少年法を救済することが至上命題」じゃないかって言うの。つまり「政治的」だってね。そんなワケで、あたしもこの「人権派弁護士」たちが必ずしも部落差別や「同和」教育に関心を持っているとか、傷ついた人間の心の痛みっちゅうものにマジに共感しているかはギモンにかんじちゃうのよね。
 もっとも編者の宮崎哲弥は「人権論の再構成―『被害者の人権』を中心に考え直す」という章で「人権派弁護士」なんていうのはおかしな言い方で弁護士である以上は「人権派」であるのは当たり前だし、逆に「人権派弁護士」という言い方が被疑者や被告人の人権を必死に守ろうとする弁護士を揶揄したものならそういうことをいう奴は「近代法の原則をいささかも解さぬ斉東野人というべき」だって「右派」の発想をけなしているんだ。つまり、本書の中でも「人権」に対しての見方はずいぶん食い違っているみたい。っていうか、ちがうのを前提に企画したということらしい。それだけ「反人権派」を標榜する人たちの「人権観」もちがうし、あたしたちが解放運動や「同和」教育で言ってきた「人権観」ともずれがあるみたい。
 ということで、この本に文章を並べている人たちは最初に述べたように「人権」というのは普遍的価値ではなくて一種の取り決めのようなものだという人権相対主義の立場に立っていることで共通している。編者によれば、この本は「当初の企画では、左派、人権主義者内部の『批判派』の論をも収める予定だったが、右派の『反人権論』と同舟するのを潔しとしないというわけか、すべて断られてしまった」(9頁)んだそうな。いったい誰が断ったのかな、あたしはこういうところに「左派」も積極的に参加すべきだったと思うのね。それと、みんなでこの本を読んで「人権派」ないし「人権主義者」としてきちんと意見を言うべきだと思うのよね。それと「人権」って絶対的普遍的価値なのか、それとも相対的なものなのかとか、部落解放運動や「同和」教育が言ってきて、これから言おうとしている「人権」と「人権一般教育」とは同じなのかとかいうギロンってあんまりしてないじゃない?あたしは、部落解放運動っていうのはやっぱり被差別部落の解放という日本的差別に対する闘いなんだから、政治的だろうし、その「人権論」は普遍的一般的なものではないはずだと思うのね。「同和」教育が主張する「人権」も部落差別をなくす教育だからやっぱり人権相対主義じゃないかと思うのよ。そうすると「同和」教育が人権教育一般に解消されるべきか人権教育を「同和」教育の視点で捉えるかって、ずいぶん重要な問題をこの本は提起しているみたい(ただし、この著者たちに部落差別や「同和」教育に対する見識はまったくないけど)。
 とはいえもとは「人権派」に対する反発から書いている人たちよね。全部がぜんぶ読むのに堪えられるわけじゃない。先に挙げた二人はよしとして、準編者格の呉智英(二本も本書中に文章を書いているし、「あとがき」まで書いている)の書いた「人権主義者のセカンドレイプ」は復讐権を主張したり、石原慎太郎の「三国人発言」を擁護したりと乱暴なギロンをしてはいるのだけど、「人権主義者」たちが犯罪の加害者を庇うあまりに被害者を傷つけている例を出してこれをセカンドレイプだと批判している。ある意味では軽薄な「人権主義者」に対する批判としては尤もなものではあるとあたしも思うわよ。だけど、この人ったらもう一つの自分の文章「形而上学としての人権思想」の中で「支那文学」「支那思想」という言葉を自覚的に使っているのね。これってさ、すっごいむかつく書きかたなのよね。確かに「支那」という表記は日本が近代以前の中国を尊敬していた時代から使われていた表現だから、その言葉はある時期までは差別性や侮辱性はなかったのね。その後もそのままならこの文章の中で何人かの歴史学者、文学研究者が「人権」という概念を歴史を超越して使っていると批判している。その批判は正しいかもね。しかし、この人は現代においてわざわざ「支那」という言葉を乱発することでおんなじ過ちをおかしているのね。「支那」という言葉の使用され方が歴史的だってことにこの人気がついていない。江戸時代と現代との間に戦争があったという初歩的なことを忘れている。だって、この間あたしが台湾に中華料理食べに行ったときにね、ガイドブックに台湾では「支那」とか「支那人」という言葉は絶対に使わないようにって書いてあった。なぜなら植民地時代にそういう言い方で日本人にひどい目にあった記憶があるからそういう言い方をされると台湾の人は怒るよっていうことなんだって。ちゅうことはこれはまさしくセカンドレイプよね。犯罪被害者の気持ちに共感して軽薄な「人権主義者」の言動をセカンドレイプだと非難する人が観光パンフレットレベルの歴史的セカンドレイプに気がつかないなんて、バッカみたいと思わない?
 それから山口宏という弁護士は「裁判所は人権の砦ではない」という文章を書いているけど、この人の話って短絡てきぃ…。だけど裁判所の中では人権なんてないことを具体的に説明しているのはよくわかって役に立つナ。石川さんが嵌められたワケもよくわかる。
 全体的にこの本で扱われている「人権」論争は部落差別や「同和」教育とは距離のあるところでやっているギロンだと言っていい。しかし、いつあたしたちの問題になってくるかもわかんないと思うのよね(実は勘違いしたままあたしたちの問題になっているのかもしれない)。こっちへお鉢が廻ってくる前にあたしたちの「人権」理論をきちんと作っておかなくてはならないと考えてしまう一冊ね、これは。

★★★★ で、あなたは人権絶対主義? それとも人権相対主義? そういうギロンをしておこうよ。

レビュー投稿日
2010年4月3日
読了日
2010年4月3日
本棚登録日
2010年4月3日
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