はじめに、この映画をより深く知りたい方は、この動画を見ていただきたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=dSBwbaHgXFA
http://www.nicovideo.jp/watch/1383940330
(同じ動画です)
僕は岡田斗司夫以上に「深く」「分かりやすく」「面白く」物語を語る人を知りません。こんな動画を見てしまった後、自分などにはこの物語について語る資格ないとすら思います。
ゆえに、このレビューでは、暁美ほむらという一人の少女に限定して書こうと思います。
初めて劇場でこの映画を観たとき、一つだけ腑に落ちない部分があった。それは「私は この世界で死ななきゃならないの」という台詞と「このときを待ってた」という台詞の矛盾である。
まず、暁美ほむらが円環の理から鹿目まどかという人格をもぎ取ろうと決心したのはいつか? それは間違いなく花畑での二人の会話のときだ。その時に初めて暁美ほむらは鹿目まどかが「自分だって寂しいけどみんなのために神になった」ことを知るし、会話の途中には未来視までしてしまっている(映画のラスト付近のカットが入る)。暁美ほむらはこの時に、彼女を一人にしないために悪魔になる決心をしたのだ。「ひとりぼっちになったらダメだよ」という優しさを、そのまま返すかのように。だからこそ「私にはまだやることがあるから」と言って、一番愛しい人から離れる。
そして暁美ほむらの魔女化シーン。彼女はインキュベーターに鹿目まどか(円環の理)が観測されないように、魔法少女たちに必死で訴える。ここで死なせてくれと。わたしを助けることはまどかのためにならないのだと。
さて、彼女が花畑で決心したならば、この魔女化一連の流れは全て「決心」のための演技、作戦だということになる。しかしどう見ても演技には見えない。あれは魂の叫びだ。これはどういうことなのだろう。
結論から言う。あれは演技ではない。かといって、決心するタイミングが違っていたわけでもない。彼女は本気で「このときを待っていた」し、本気で「この世界で死ななきゃならない」と思っていた。つまり、“矛盾している状態こそが、暁美ほむらとしての正しい姿”だった。上の動画ではこのことを白痴と呼んでいたが、僕はメンヘラだと思っている。暁美ほむらはメンヘラだったのだ。ほら、メンヘラの人って矛盾したことを平気でいうけど、嘘は言わないでしょ? 例えば死んでやるって本気で思ってるけど、結果的に死ねないから嘘になってしまってるだけとか。
メンヘラだと仮定すると、辻褄が合ってくる。上の発言の矛盾もそうだし、他にも愛の重さ(独占欲的)とか、思い込みの強さとか。魔力だって絶望から希望への相転移で決まるみたいだし。
そうすると悪魔になることの別の側面が見えてくる。彼女は鹿目まどかを一人にしないために悪魔になったが、それは同時に「本当にまどかを理解しているのは自分だけ」という状態を作り上げることだった。彼女は鹿目まどかが幸せになることでしか、自分を守れない。鹿目まどかの幸せが、ライナスの毛布だった。その証拠に、彼女はこの映画が始まって以来、ようやく精神的に安定する。
鹿目まどかの幸せという毛布の力は絶大だ。ルールを破るのは良くないと思う、と自分の行動を否定されてもなお、敵になるかもしれないことを自覚してもなお、鹿目まどかに微笑み、リボンをつけてあげる余裕があるのだから。あの泣いてばかりいたメンヘラが。
もちろん宇宙改竄後の世界は、鹿目まどかがふと自分の役割を思い出すだけで崩れてしまうほどに脆弱だ。暁美ほむらの安定は、とても不安定な世界の上に成り立っている。
おまけに彼女はもはや、誰からも承認されない。理解されない。神よりも孤独な存在になってしまった。
それでも彼女は踊る。幸せになるであろうパートナーを思い描いて。
僕にはそれが、やがてこの世界が失われるのが分かっているかのように見えた。
おしまい。
余談だけど、このラストに納得できない人って、ある程度満たされてる人なんだろうなぁと思う。人間は幸せになるもんだと思ってる人って言い換えてもいい。もちろん暁美ほむらに報われてほしいって気持ちもあるけど、そんなことより自分の仲間がいるって喜びが俄然勝つんだよなぁ。別に不幸自慢じゃなくて、やっぱ世界はこうだよね? ていう安心感?
自分性格悪いなぁとももちろん思いますけどね笑
あと、僕はメンヘラのことを一切合切バカにしてるつもりはありませんので。あしからず。
- 感想投稿日 : 2014年4月2日
- 読了日 : 2014年4月2日
- 本棚登録日 : 2014年4月2日
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