保科正之: 徳川将軍家を支えた会津藩主 (中公文庫 な 46-5)

著者 :
  • 中央公論新社 (2006年5月1日発売)
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感想 : 10
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徳川3代将軍家光~4代家綱の頃の話。
松平容保でしめくくられる会津藩の家風を作った藩主。
上杉鷹山などが藩政改革や藩主の鏡として語られることが多く,その著書も多いが,本書を読んで,もっと保科正之の伝記なり,歴史小説で,その生き方を伝えられるものがあってもよいと感じた。
2代秀忠の4男に生まれながらも,秀忠の正室には浅井長政と信長の妹のお市の方の娘の於江与の方であり,これがすごく嫉妬深く,正之の母に子が出来たことも知られることをずいぶんと長い間ためらい,家光も異母弟がいることに当分気づかなかったようである。
後に,武田信玄と三条の方の娘である見性院の働きかけで徳川秀忠に認められ,会津藩を継ぐ事となった。
自分を顧みずして,一に民政を,二に徳川を思うというのが正之の精神の脊柱をなすものであり,無私という精神そのものであった。
会津藩は正之が藩主となってから,天候不順で凶作の年でも餓死者が出ないよう,民のための蓄えに努めたり,養老米という年金制度のようなものも創設した。藩士の禄高も多くはなく,『知足』という”足る事を知る。自分のみの程をわきまえてむさぼらない”ということを実践した人で,松平の姓も,葵の紋も用いることを潔しとしなかったようである。
まさに名君というにふさわしい人物だったようである。
最後に付け加えておくが,本書は歴史小説ではなく,保科正之の人物像なりを説明した著書である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史
感想投稿日 : 2010年5月23日
読了日 : 2010年5月23日
本棚登録日 : 2010年5月23日

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