ユダヤ人亡命作家が1938年に書いた、生のヒトラーを捉えた遺作。
本書の最大の特徴は、ヒトラーの身に起こった歴史的事実をもとに、ヒトラーが政権にある時に書かれたということに尽きる。
その事実とは以下の通り。
第一次大戦中、ヒトラーは戦闘のなかでヒステリー性の失明と不眠を患い野戦病院に搬送された。催眠療法で失明は回復したが、それだけでなく、その時担当した医師は彼を社会復帰させるために「自分はドイツを救うメシアである」という認識をも刷り込んだ。
そう、独裁者ヒトラー誕生に一役買った医師がいたのである。
そして本書は、その治療を担当した精神科医が残したカルテをもとに、同じく医者として野戦病院に勤めた経験のある著者が、医師を主人公として書いた小説なのである。
これだけでも本書はとても興味深い一冊であることは疑いない。
とはいえ本書の主人公はあくまでもヒトラーではなく、第一次世界大戦からナチスが政権を握り、第二次世界大戦に突入していく時代を生きた、一人のユダヤ人医師の孤独と挫折の書なのである。
善きものを追求し、良かれと思って行うことのことごとくが裏目に出、孤独を深め、業を背負っていく主人公の姿はなかなかに壮絶である。
ヒトラーを治療し、独裁者を生み出す一翼を担ってしまった挙句、そのヒトラーから過去の汚点を抹消するために命を狙われる・・・というのが最たるものか。
ここまで見事に恵まれていない主人公もなかなかない。
その度に失意に襲われるが、それでもしばらくすると自分に邪心があったから不幸が起ったのだと割り切り、勇気を奮い起こしてまた新たな一歩を刻む主人公の姿は、どうしても最後まで見届けたくなる力を持っている。
戦争で心に負った傷を、狂信者になることで乗り越えようとしたヒトラーと、愛や家庭での平穏をもって乗り越えようとした主人公の姿は対照的ではあるが、(恐らくは)二人ともどうしてもその傷を乗り越えられない。
そんな「生きる」ということを探究した本でもあるように思う。
きらめくようなキャラクターや度肝を抜かれるストーリー展開があるわけではないが、一読の価値ある小説かと。
- 感想投稿日 : 2014年12月25日
- 読了日 : 2014年12月25日
- 本棚登録日 : 2014年12月25日
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