勝海舟 (中公新書 158 維新前夜の群像 3)

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  • 中央公論新社 (1968年4月1日発売)
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書物の勉強や、オランダ人の授業からでは解らなかったこと、外国へ来てみて初めてその根本的な違いに気付かされたのは、むしろ社会制度の問題である。
福沢も、「理学上の事に就いては少しも胆を潰すと云うことはなかったが、一方の社会上の事に就いては全く方角が付かなかった」と書いて、例の有名な、ワシントンの子孫の話をもちだしている。―福沢はふと気がついて、ワシントンの子孫はどうなっているかと聞いたところ、だれも知らない。アメリカでは共和国で大統領は四年交代と書物では知っていても、一方では、ワシントンといえば日本では徳川家康で、その子孫は代々将軍だ、とすぐに頭が働いてしまう。そのためアメリカ人がワシントンの子孫のことなど知らないというのを非常に驚き、「是れは不思議と思うた」わけである。(p.71)

もちろん海舟も、そうした中間的、つなぎ的な位置に甘んじていたわけではあるまい。海舟は海舟なりに、自己の道を開こうとしている。彼は自己のもつ最大の武器である海軍を通じて幕閣の中枢に近づき、幕府全体を自分の構想する道へ引っぱっていこうとする。彼はまだここでは幕府を見限っていないのだし、幕府を公然と見限っていては、彼の立場も、またその専門知識を生かす場もなくなってしまうのである。海舟は、どこまでも実務家であって、思想家ではない。(p.100-1)

この「必勝を未前に察」して、しかも戦わないのが、海舟の「公」なのである。いま征東軍は、天子を擁し、大勝に気をよくしてかさにかかってきている。しかし「我今至柔を示して、之に報ゆるに誠意を以し、城渡す可し、土地納む可し、天下の公道に処して、其興廃を天に任せんには、彼また是を如何せむや」である。こちらが「公」を貫けば、先方もまた「公」でもって応ぜざるをえまいというのだ。(p.166)

海舟は、自分の方に「公」があると信じている。しかも彼はその自分の立場を、外国人の前で日本人同士が争うのはやめようという、非常に強固な議論でもって補強している。(p.178)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2015年4月29日
読了日 : 2015年4月28日
本棚登録日 : 2015年4月28日

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