震災学入門: 死生観からの社会構想 (ちくま新書 1171)

著者 :
  • 筑摩書房 (2016年2月8日発売)
3.79
  • (3)
  • (6)
  • (4)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 131
感想 : 12

 海に背をむけることなく海で生業を営む人びとは、海と遠く離れて住むようなことはない。たとえ命や家屋を流されたとしても、津波を日常の連続性のなかに組み込んでいるのである。漁師や海の近くで暮らす人びとでも、流されればまた建てればいいだけの話とかなり割り切った言い方をする人はかなりの数にのぼる。
 しかし、このような日々の暮らしの水準における時間は、自然科学者のフラットな時間軸に対して、かなり濃くて、自分が生きる前の時間は、30年前も何万年前と同じように現在から比べれば薄いのである。(p.39)

 悲しみは、それだけ自分の人生に大きなものがもたらされていたことの証であり、死者は目には見えないが、見えないことが悲しみを媒介にして、実在をよりいっそう強く私たちに感じさせる、という。彼の言明は、死を彼岸に追いやる現代の趨勢に抵抗して、家族を突然亡くした人びとの感覚と非常に重なっているといえるだろう。(pp.98-99)

 危険地域に堤防をつくるのは行政の仕事、浸水想定区域をハザードマップで示すのも行政の仕事、避難の必要があれば防災無線で知らせてくれる、これら自分の命を守ることに対する主体性が失われ、災害過保護的状態が顕著で、その結果として人為的につくり上げた安全は、物理的、確率的な安全性を高めたが、人間や社会の脆弱性をかえって高めることになっている。(pp.109-110)

 原発避難とは何か。そこには直接的な放射能の被害は今のところない。しかし、原発事故から派生して避難生活のなかで食材や衣料を要領よく選べないことや、常に避難先で周囲の目を気にして生活しなければいけない暮らしがあった。いつ終わるとも知れない避難生活が彼女ら彼らの未来を閉ざすことになる。普段当たり前のようにやっていたことが環境が変わることによって、身体がついていかない歯がゆさやぎこちなさ、誰も知らないところで、自分のふるまいがあざ笑われているのではないかという過重な重圧を感じることになる。(p,170)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2016年9月7日
読了日 : 2016年9月5日
本棚登録日 : 2016年9月5日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする