★★★★☆
奇妙な映画だ。
初めの印象は「ああ、遂にデンゼル・ワシントンもリーアム・ニーソンに対抗して“セガール映画”に出るようになったか」というものだった。
セガール映画とは、スティーブン・セガール主演の、やたら強いオヤジが一人で悪の組織を壊滅してしまうタイプの映画で、リーアム・ニーソンなら『96時間』がそれに当たる。
僕はこの手の映画が好きなので観る前から、きっとこれも大好物に違いない、と期待に胸を膨らませて鑑賞したのだが、予想に反して一癖、二癖ある作品だった。
あらすじはーー 謎の過去(元CIA)を持つ主人公ロバート(デンゼル・ワシントン)が、偶然出会った若い娼婦テリー(クロエ・グレース・モレッツ)が酷い扱いを受けているのを見て彼女を救うのだが、そのせいでマフィアと対決することになってしまう ーーというもの。
このあらすじを聞いたらきっと誰もが、ロバートはもう人を殺したくないのに娼婦を助けるために仕方なく殺すのだろう、と考えるのではないか。
僕もそう思って観ていた。
でも、それだと辻褄が合わないところ、中途半端なところがいくつも出てくる。
どうしてロバートは不眠症なの?
どうしてロバートはこの若い娼婦テリーのためにここまで大変なことをしてやるの?
結論:彼は人を殺すに足る、正当な理由を探していたのだ。
彼はホームセンターで働き、同僚の試験のための手伝いもしているにも関わらず、眠れない。
それは亡き妻と“もう人を殺さない”と約束してしまったため、生き甲斐を奪われた状態にあるからだ。
普通の映画なら、テリーに亡き妻の面影をダブらせ、その彼女が酷い目にあっているので仕方なく封印していた殺しのスキルを発揮する、という展開になるはず。
出来ることをやっていないのならそこには必ず理由がある。
前半でロバートがテリーに『老人と海』の話をする場面がある。
老人が魚と共感していたと話す主人公に若い娼婦が「じゃあどうして戦わなきゃならなかったの?」と聞くと彼は「老人は老人で、魚は魚だからだ」と答える。
彼は人殺しであり、人殺しは人殺しなのだ。
人殺しは人を殺すものであり、その点で主人公と敵であるニコライとは同じ穴のムジナだ。
違うのは、畏れを知っているかどうかだ。
中盤で彼はCIAの元同僚に会いに行く。
その時、元同僚の女性は自分の夫に「彼は助けを求めにきたんじゃない。許可をもらいにきたのよ」と言う。
ロバートには自分のために殺しを行わない。
殺すには、自分以外の理由が必要なのだ。そして、許しも。
それが殺人マシーンである自分が社会で暮らしていくための免罪符なのだ。
この映画はマーク・トゥエインの言葉で始まる。
その言葉の意味がこうして映画について考えながらようやくわかりかけてきた気がする。
「人生で最も大事な日は二日ある。生まれた日と、生きる意味を見つけた日だ。」(マーク・トゥエイン)
- 感想投稿日 : 2015年7月26日
- 読了日 : 2015年7月25日
- 本棚登録日 : 2015年7月25日
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