完璧にデザインされた「家」はそれ自体はキレイで完成されているんだけど、完璧なモノというのは、往々にして異物を受け入れる余地がない。
ル・コルビュジエの家がそうというより、その家を完璧だと思う人間側の問題。
こう、自分の中で「こうあるべき」という世界をつくりあげてしまうともうそれ以外を認められない。
だから隣人ビクトルに壁に穴をあけられることは、主人公や妻にとってすごく煩わしくて脅威なんだと思う。単なるプライバシー侵害以上の意味合いで。
隣人はこれまで築きあげてきた成功者としてのシンボルでもある「家」に侵入しようとするエイリアンそのもの。
しかもその「家」は外観は立派でぴかぴかに磨かれてはいるけど、そこに住んでいる人間は空虚で軽い。(娘の態度に如実に表れている)
家長である主人公は平気で嘘をつくし、それらしいことを言っても言葉に重みがないは、人間として薄っぺら。
一方、エイリアンたる隣人はしつこいし変人だけど愛嬌があるし強烈な個性も存在感もある。
だから主人公は隣人を拒絶し、排除し、果ては抹消しなければならなかったんじゃなかろうか。
自分の空疎さを認めたくないがために。
…と、そんなふうにこの映画を消化してみた。
うーむ、しかしそういう展開だったら、普通なら隣人の作った窓がきっかけとなって、この薄っぺら主人公が自分を見つめ直し、娘や妻や仕事での人間関係の在り方が変わってゆくという流れになりそうなのに、こういう結末とは…。
ある意味すごくリアリティがある。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
2000年代の映画
- 感想投稿日 : 2013年10月16日
- 読了日 : 2013年10月16日
- 本棚登録日 : 2013年10月16日
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