歌人でもありまた生物学者でもある永田和宏が、その妻で、また歌人であった河野裕子が、乳ガンの宣告を受けた2000年から、2008年に再発し2年後に亡くなるまでの闘病の十年をつづった記録である。自然、そこには多くの歌が詠まれている。たとえばタイトルは「歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る」という、妻の死を目前にした永田が歌った歌の一部である。二人は相聞歌集『たとえば君』という本を出すほど、結婚後もお互いを愛し、お互いを歌に詠みこんできた。ぼくは和歌というものはほとんどつくったことがないが、この31文字という日本の伝統文学が、なぜ今も滅びず続いているわけを、本書を読んでひしひしと感じさせられた。ぼくも和歌をつくってみたい。二人は歌の世界の賞を総なめするほどの才人どうしである。夫はまた国際的にもすぐれた生物学者で、しばしば学会出張で家を留守にする。東京の会社をやめて京都大学へやってきたときは、無給の研究員で、バイトをしながら実験、論文執筆にあけくれるから、当然家事育児は妻の裕子にかかってくる。妻の病気がわかってからも、永田は病気を特別視しないために同じように国際学会へ出かける。もともと不眠症をかかえていた河野はおそらく半ば寂しさも手伝い、睡眠薬をウイスキーで飲むという行為をくりかえし、晩年は統合失調症の症状を呈し暴れまわる。しかし、そうなっても、河野は生きているかぎり歌を一つでも多く詠みつづけた。(ちょうど本書が300冊目のレビューとなった。)
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- 感想投稿日 : 2013年5月15日
- 本棚登録日 : 2013年5月15日
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