アンデルセン童話とグリム童話が有名な二大童話と言えるのだろうけれど、この物語はまるで性質が異なってくる。アンデルセン童話は比較的安心して子供に読ませられるけれど、グリム童話は原作に忠実だとあまりに残虐な部分が多い、しかしこれは大人から見た視線なのだろうか?とはいえ、個人的には昔から血を見るのが怖かったりしたので、子供=残虐とはなりえないとは思う、まぁ、親の影響なのかもしれないけれどそれを言ったら、子供の残虐性だって親の影響が皆無とは言えなくなってくるので……という堂々巡り。
収録されている童話で有名なのは、表題作のマッチ売りの少女、醜いアヒルの子、裸の王様あたりなのかもしれない。しかし、知っているものとはなにやら違っていたりもする。例えば、醜いアヒルの子は、白鳥になっていい気分で幸福を感じて終わっているけれど、確か記憶によれば、彼を虐めた連中が彼の成長した姿を見て羨ましがるような、そういう箇所があったように思う、つまり、カタルシスを強めている要素が追加されている。また、親鳥も当初は子供を可愛がっており虐められても擁護していたりする描写があったりして、このあたり省かれていたのではないかなぁ。裸の王様は、誰も彼もが自分が無能であると認めたくないので必死に見えないのに見える振りをするという滑稽さが描かれており、現代版だと王様の滑稽さが際立っているけれど、原作的にはむしろ王様単独というよりは、自らの無能さを認めたくないがゆえの人間のエゴイズムが引き起こす悲劇ともつかぬ喜劇を描いているように感じられる。
さて、アンデルセンの面白いところは実は読者をも物語りに巻きこもうとしてくる姿勢なのかもしれない。語り口調なのは珍しくないのだけれども、カラー(襟のあれ)が紙になって今この物語を伝えているのです、この男が物語を広めたものが今ここに綴られているのです、といった具合に彼は読者をも物語に引きいれようと試みている。あるいは、悪戯好きのキューピッドを忘れないように、などというこの語り口は著者が物語を通して教訓を伝えるというよりは直に教訓を伝えようとしているあたりが愉快だと感じる。ちなみに、とびくらべなんかでは、最後に「けどこの物語は嘘かもしれませんよ?」として茶目っ気を出すと同時に、読者に自ら考えることを促してもいる。
ショートショートといった分量のものが多いのだけれど、本童話集では、「旅の仲間」と「雪の女王」だけはそれなりに分量がある。旅の仲間は少年が、金を返さずにして死んだとして死体をいじくられていた男を助けてやったことで、その男が旅の仲間として少年の許に現れ、彼を影から守っていくというストーリーである。因果応報の「いい」バージョンである。また、雪の女王は、離れ離れになった少年少女が、少女が子供らしさを失わずに少年を求めることで周囲の人たちが力を貸してくれてとうとう少年を助けることが出来、彼らはその月日の間に大人になっていたものの、子供の心を持ち続けており、それゆえに、イエスの、「幼子のような心を失えば天国にはいけないだろう」という言葉と合わせて教訓譚としている。
個人的にこの旅の仲間や雪の女王も好きだけれど、マッチ売りの少女には到底勝てないように思われる。薄幸なマッチ売りの少女が、幸せな夢を見る、朝になったときにはもう彼女は死んでいた、この物語は数ページで終わるほどの短さなのだけれど、それがなおさらこの物語を際立たせていると感じる。幸せな夢、死、というこの対極な二つこそが現実に相応しいのである。そして、「年とったカシワの木の最期の夢」もほぼ同じストーリーラインを辿るというところを見ると、薄倖さ、あるいは無常観と、しかし、その中にあるほのかな幸せこそが最上なのだという感慨のようなものがアンデルセンの根底にはあったのかもしれない。
- 感想投稿日 : 2011年5月24日
- 読了日 : 2011年5月24日
- 本棚登録日 : 2011年5月24日
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