犯罪心理学入門 (中公新書 666)

著者 :
  • 中央公論新社 (1982年10月22日発売)
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感想 : 37

犯罪心理学入門、は正に教科書的な構成となっている。一冊を読み終えると、長い旅路を終えたような気持ちになる。複数の分類が列挙されており、それに照合する複数の実例が細々と列挙されている。このあたり加賀乙彦の「死刑囚の記録」とは対照的である。死刑囚の記録では、著者の視点でかなり精緻に犯罪者像が描かれていたが(ときおり感情移入も見られた)、こちらでは簡単な概説にとどまっているという点で物足りなさは感じた。また著者の言いたいことが何かというとそれを読み取るのは少々難儀となっている。それはこれが教科書的な体裁をとっているからであろう。とはいえ、著者が言いたいところは、犯罪について考える際には、遺伝的要因、環境的要因、心理的要因、社会的要因などが複合的に考える必要があり(クレッチマー)、とはいえ、複合的であるがゆえに、簡単な構図というものはつくることは困難かつ危険であるといったところだろうか?


また、個人的に犯罪者を考える場合には知能指数の高さというやつを考えなければならないのだという感想も抱いた。これはある種の差別となりうるが、実際にデータが知能指数の高さが犯罪を類発させうると実証している。知能指数が一定程度あり社会良識をやはり一定程度見につけているならば、損益を考えることによって犯罪を回避できるはずなのである。そして、もう一つが精神状態であろう。結局のところ、犯罪を犯すのは個人であるので、心理状態に全てを帰せられるとは思うのだ。ただその心理状態を掴むためには、遺伝環境社会文化などについても考えねばならないのだろう。著者は個と社会との二面的な捉え方を提案しているが、個人的には犯罪者の個に対してそれらを複合的に結びつけて理解すればいいのではないかと感じる。また、著者は責任能力について述べている。自分としては、仮に意志したものではなくとも、人間はその肉体に責任を負うべきだとは感じている。途中で、精神的なてんかん発作によって意識のないまま車を運転し、対向車と衝突して相手を殺してしまった人物が無罪となったのは、責任能力がないのだから当たり前だというような意味合いで書かれているように感じたのが、そこには猛烈に反発心を引き起こされた。それでは殺された人は天災によって殺されたということになるのだろうか?

とはいえ、個人的に一番興をひかれたのは代理性とでも呼べる原理であろう。人間ならば誰しもが心に犯罪性を持っている。それを犯罪者を通して代理的に実行してもらうことで満たされるという心理作用は確かにあろう。人が殺される小説を平然と読み続けられる、あるいは、人が殺されなければミステリとして迫力にかけるなどといった感想を抱いてしまうのは正にその心理的作用と言えよう。誰しもがそれを認めたがらないだろうが、犯罪事件に心を悩ませながらも、ワイドショーを面白がって見てしまうあたりにその醜さとも呼べるものが集約されているように思う。また、厳格な家庭の子供が非行に走るのは、親たちが無意識的に抑圧しているシャドウを代替実現しているというあたりもかなり鋭くて反面で受け容れがたい理論でもある。人間は自分が思っている以上に鈍感でありながらも、しかし無意識的には自分が思っているよりもはるかに繊細であるのは誰しもが異論のないことであろう。要するに、自分は騙せても子供は騙せないということになってしまうのだろうか?心理学や精神医学では酒を飲むことによって発揮される性格は基本的には本来のものだと言われてしまう。酒を飲むことで粗暴になる人は生来的に粗暴な人なのである。妄想や幻覚に駆られる人は異常酩酊であるが、そうでなければ基本的には本来の性格と言える。そなわち酒癖の悪い人とは関わらない方がいいということになろう。まあ、酒癖悪い人はすごく嫌いなのだけれど。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 臨床心理、精神分析、精神病理
感想投稿日 : 2011年7月6日
読了日 : 2011年7月6日
本棚登録日 : 2011年7月6日

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