春琴抄 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (1951年2月2日発売)
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谷崎が求めた 愛の至上の姿か……

 一九二三年九月一日、関東地方に起こった大地震は、大多数の死傷者を出す大災害となった。この混乱に乗じて、社会主義者の大杉栄、伊藤野技等や、罪もない朝鮮人を多数殺したりして、天災と人災がいりまじった大災害でもあった。
 この大震災のために、東京在住の文化人が関西に移り住んで来たが、その中に谷崎潤一郎もいた。
 「春琴抄」が中央公論に発表されたのは、関西に移り住んで十年目である。この作品は、谷崎文学中、最高傑作と呼ばれ、何度か舞台化、映画化されできたのでご存知の読者も多いだろう。
 物語は、下寺町を通りかかった作者が、春琴の墓参りに立ち寄ったところから始まる。
 椿の木かげに鵙屋家代々の墓が並んでいるが、琴女の墓らしいものは見あたらない。寺男に問うと「それならあれにありますのがそれかも分かりませぬ」と急な坂路へ連れで行く。

実話と信じで墓探す人も

 <知っての通り下寺町の東側のうしろには生国魂神社のある高台が聳えているので、今いう急な坂路は寺の境内からその高台へつづく斜面なのであるが、そこは大阪にはちょっと珍しい樹木の繁った場所であって琴女の墓はその斜面の中腹を平らにしたささやかな空地に建っていた>
作者中の春琴は音楽の天才で、美貌に恵まれた冨家の娘だが、不幸にして幼時に失明、それも手伝ってか、わがままで傲慢な娘として描かれる。その春琴に幼少の時から丁唯として琴の稽古へ行く手引きをつとめ、春琴への恋慕と崇拝の念に導かれその弟子になった佐助が、生涯を通じで春琴に献身するのが、この物語の骨子であるが、その佐助の墓石は、死後にも師弟の礼をつくして、少し離れた場所に春琴の半分くらいの大きさで控えていた。
 小説中、二人の墓は格好の場所に、生前の様子をしのばせるように設置されているが、谷崎が手にいれて「春琴抄」を書くもととなったと書かれている小冊子「鵙屋春琴抄」は、作者の創作上のフィクションであって、実際には春琴の墓などない。しかし、谷崎の書き方がうまいため、実在の話だと信じた者が、ちょくちょく、寺へ墓のありかをたずねでくるという。

自己を無にし春琴を愛した佐助

 この作品の圧巻は、何といっても、就寝中煮え湯を顔に浴びせられ、醜い火傷を負った春琴の変貌を再び見まいとして、佐助自身もまた盲目になるべく自分の眼を針で突く場面であろう。
それは愛する人の変貌を見たくないのではなく、見ることによって愛する人の心が傷つくのをおそれたためである。相手(春琴)の存在のため、自分を犠牲にしつくす佐助の人生に、谷崎は愛の至上の姿を見出したかったのだろうか。
 地下鉄谷町線の谷九から西へ歩いて真言阪を上がると、そこが生国魂神社である。高台から、数知れないビルが立ち並ぶ大阪の町を見下ろしているとふと、春琴と佐助の墓が、今も変わらぬ師弟の契りを語りあって二つ並んでいるかのような気がしてくる。
 夕陽の沈みゆくころ、上町台地ぞいに源聖寺坂、学園坂、口縄阪、愛染坂、清水坂などを散策し、夕陽ケ丘へ抜けるコースは、風情ある夕涼みに最適である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本ー文学
感想投稿日 : 2012年4月24日
読了日 : 2012年4月24日
本棚登録日 : 2012年4月24日

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