ビ-・ヒア・ナウ: 心の扉をひらく本 (mind books)

  • 平河出版社 (1987年11月30日発売)
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感想 : 13
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この本を読んでいる数日間の間、夕方になると夏季休暇で誰もいない職場に赴き、ゴーヤの水やりをしていた。ついでに中庭の草抜きもした。前者は自己責任でやっていたから義務感から、後者はあくまでついでである。やりたくてやったわけではなく、わざわざ出ていくには正直なところ面倒くさく、ゴーヤは枯れちまってもいいやと思わなくもなかった。休暇であるにもかかわらず通ったのは、運営には白い目で見ている同僚もいたから、半ば意地でもあった。自己都合の迷妄とも言える。そのついでにゴーヤが置いてある中庭の草を抜く。いつか大ボスが暇そうに中庭のでかい草だけを抜いているのをみて、私がやんないと思っているだろうなと感じていた。環境整備は私の役割でもある。草ぼうぼうだった中庭。実は管理員もいる。本来だれがやってもいいはずのものだ。半ば腹が立ちつつも、水やりを済ませた後、あまり意識せず草抜きを始めた。自分だけでなく係を動員すればいいじゃないか、とか、休みにわざわざなんで、とか、いろんな声が自分の中から聞こえてくる。作業をしていると必ずそういう考えが自分の中から発せられてくる。それらにいちいち応えていると、だんだん意識が時空を行きつ戻りつ迷妄のカルマをぐるぐる回り始めるのだ。それは苦しい。相当。それを知っていたから、それらの声が出てきたら意識的に流し、草を抜くその感触と感覚に身を任せることにした。草がずるずると抜けるその感触が快感で、完全に声が消えたわけではなかったが、流すに任せてどんどん抜いた。空は高く、耳に入ってくるのは夕刻の鳥の鳴き声と蝉の声。その声だけ聴いていると、殺風景な職場の中庭でも楽園にいるような錯覚さえ起きる。ひとりでいる中庭もいいものだ。ここで瞑想するのもいいかもしれない。鼻がむずむずしてくしゃみをひとつすると、その音が建物に反響して妙にでかく感じた。その間も草を抜く。草は山盛りになり、日が沈み視界が陰るまで続けた。約三日かけて中庭の草をぜんぶ抜いた。全部抜くつもりは、まったくなかったのだが。

ただ、BE HERE NOW。無心でそこにいること。その感覚。

第二部の文体に、訳者の吉福氏の声を聞いた感じがした。あとがきによれば、主に訳したのが氏のようだ。吉福さん。生前の彼に接したことのある身としては、確かな息遣いをそばに感じることができた本でもある。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2013年8月14日
読了日 : 2013年8月14日
本棚登録日 : 2013年8月14日

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