宗教、という問題を考えようとすると、どうしても胡散臭さや集団の狂気が浮んできてしまう。
信仰、と言いかえても、やはり腑に落ちないまま「洗脳=マインドコントロール」へ疑いの目を向けてしまう。
そもそも目にみえないものを信じることなど現実逃避であり、そのようなよくわからない存在など頼りがいがなく、それによってどうして救われようか、なんとも不合理なことよ、と考えていた。
しかし同時に、この「よくわからない」という不明の大部分は、キリスト教でも仏教でもいわゆる宗教と縁遠く暮らしてきたがゆえに、私自身がたんに「知らない」という状況によるものではないか、とも考えていたのだった。
そんな折、キリストの三一論などをはじめ、無限である神と有限である人間とのあいだに生じる矛盾を、きわめて合理的に考えている人物として落合仁司氏を知った。
本書の途中、集合論の話が出てくるが、話が佳境に入ってくると正直最早ついていけなかった。
しかしながらその部分を抜きにしても、本書が宗教や神という問題を考える上で大変有意義な一冊たり得ていることは間違いない。
この世の他者であり、必然的無限な存在である神。
その神の存在は論理的に真であり、宗教そして神学はきわめて合理的なものであった。
落合氏は、神の有無は合理的な問題であり、ここに信仰は不要であると考える。
そして、合理的に神と人間の矛盾を考えた果てに、必然的無限である神とわれわれ人間が一致するためには、人間を「可能的無限」な存在と考える必要があることがわかってくる。
まさに、ここにおいてなのである。
信仰が問題となるのは、この「可能性」を信じるか否かにおいてなのである。
落合氏は言う。
宗教とは人間の自己超越の可能性を信じることである、と。
- 感想投稿日 : 2012年6月3日
- 読了日 : 2012年6月3日
- 本棚登録日 : 2012年6月3日
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