みみずくは黄昏に飛びたつ

  • 新潮社 (2017年4月27日発売)
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「みみずくは黄昏に飛びたつ」新潮社2017。
川上未映子、村上春樹。

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「騎士団長殺し」が世に出たのに合わせて作られた本のようですね。
川上未映子さんと村上春樹さんの対談本で、話題は「村上春樹さんの小説、創作、騎士団長殺しについて」です。

川上未映子さんもハッキリと、「文芸評論というよりも、私は村上春樹さんの小説のファンに過ぎない」というスタンスを名言しています。だから、ファンブックですね。

「騎士団長殺し」を読み終えたら、読んでみようと思っていました。ほぼ一気読み。

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個人的に、おそらくは1980年代終盤に「風の歌を聴け」を読んで以来、中断期間を経つつも村上春樹さんの小説は足掛け30年、大好きです。なんだかんだ言って、巨大な影響を受けていると思います。
村上さんの文章は、エッセイなども含めて読んでいるのですが、小説の創作について語っているものを手に取るのは初めて。ちょっとわくわくでした。

読んだ感じとしては、拍子抜けするくらい、「そうぢゃないかなあ、と漠然と思っていたとおり」でした。まあ、嬉しい気分もあります。



どのあたりが思っていたとおりなのかというと、

●テーマとか狙いとか思想とか主張とか社会性に向かって小説は書いていない。少なくとも意識的には。(少なくとも、公にそういう言葉を語りたくない、ということでしょうね)

●大事なのは「文体」である。村上さんは、どんな物事でも、基本は平易な文章で、誰でも読める、敷居の低い、それでいて「面白い」文章、文体を目指している。

●「ノルウェイの森」は、全体をリアリズムで書いてみる、という実験だった。それはそれで出来たから、同じようなことはしない。いまのところ。ブームには辟易して、海外に逃げた。

●ぶっ飛んだ物事や事象が、小説の中で頻繁に起こるけど、それは解説できない。作者が解説できない、分からないから、面白いのでは。

●そんなことよりも、文体が大事。自分の文体を強固にすることをのみ、考え続けている。努力している。

●「騎士団長殺し」には「イデア」「メタファー」という言葉が大きく出て来る。けれども、語源とかソクラテスとか哲学とか、そういうことを意識して狙って使ってるわけぢゃなくて、「その言葉がなんとなく合うなあ」というくらい。どう読んでくれてもいいけれど、その言葉の意味を分かって裏の狙いを探って。。。というような読み方をしなくても全然良いのでは?

●(本文より)
本を読むことに僕が求めているのは、「なんとかイズム」みたいな理論武装を取っ払った自由さだから。

…と、いうような言葉たちっていうのは、「ああ、そうだろうなあ、と思って読んでいました」という味わい。



あとは面白かったのは、例えば。

●村上さんといえば、翻訳含めてアメリカ文学趣味なわけですが、小説を読むとわかるように、日本の文学も相当に読まれています。研究?されています。まあ、40年職業作家をされているのだから当たり前かもですが。

●で、基本は「日本のいわゆる明治以来の純文学ってきらい」なんですね。なぜなら、文体をおろそかにしすぎている。とおっしゃられています。でも、面白いのは、「夏目漱石の”こころ”なんて、ぜんぜん面白くない」と言いながら。以下のようなことも言っている。

●夏目漱石が確立した語り口っていうのは、偉大で強力。結局その後はその模倣になっている。その中でも谷崎潤一郎とか川端康成とか太宰、芥川もいるわけだけど…云々。

●結局、漱石も谷崎も康成も読んではるわけですね。そして、認めるものは認めている。その上で自分の立ち位置や好みとして、一家言ある、ということでしょうね。



村上春樹さんも、2017年現在で、もう68歳なんですよね。いやあ、びっくりです。そして、よく考えたら、70年代、80年代、90年代、00年代、10年代、と、5つのデケイドを経て、旧作も絶版にならず、新作も売れ続けている。

これ、ものすごいことです。

生存している現役の作家で、こんな人、いませんぜ。前人未到?

(死んだ人でも、「売れ方」だけで言っても、漱石、芥川、太宰、という3大レジェンドを除けば誰がいるでしょう?三島由紀夫、谷崎潤一郎、大江健三郎、司馬遼太郎、松本清張、山本周五郎、藤沢周平くらい?売れない物は店頭から消えていく。(消えていく中で素晴らしい本ももちろんあるのだけれども)

ポピュラー楽曲の世界で言うと、サザンオールスターズか中島みゆきか、というレジェンド領域です。



というわけで、以下の発言もうなずけます。同感。

「僕よりうまく小説書ける人というのは、客観的に見てまあ少ないわけですよね。世の中に」

村上春樹さんのデビュー以来、いろんな理由で徹底的に批判してきた人たちっていうのもいまして。村上さんは文壇社交をしないそうですし、政治的発言も評論への反論もしないので、梨のつぶての一方通行の時期を経て。気が付けば国内ベストセラー作家になってしまい、あれよあれよという間に世界的な作家になってしまって。批判勢力としては辛いところなんでしょうが、上記の発言、すごいですね。アンチとしては、殺意を抱きかねない(笑)。



でも一方で、実はデビュー以来ちゃんと読んでいくと、左右を問わず政治的な発言を遮断しながらも、底流には物凄く、近年で言うところの「リベラル志向」がはっきりしています。こう言われるのは村上さんは嫌いかもですが、近々で言うと、具体的な立ち位置傾向としては「アンチ安倍政権」(笑)。

「騎士団長殺し」では、南京大虐殺の話が出てきます。この対談本で村上さんが言っていたのは。

南京大虐殺を無かった、ということにしたい勢力がいます。それに対して、僕が例えば評論や講演で「間違っている」と主張しても、マニュアル化された不毛な反論や攻撃に晒されるだけです。僕は小説家だから、小説の中にそれを織り込んでいく。そういう迂回した方法で何かのメッセージも届いたら良い。

みたいなことです(本文通りではなく、うろ覚え)。

いやあ、僕は好きです。こういうこと言えて、できる人。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年7月28日
読了日 : 2017年7月16日
本棚登録日 : 2017年7月16日

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