わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

  • 学研プラス (2013年12月3日発売)
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2014年ノーベル平和賞をとったマララさん。女子の教育の自由を訴え、タリバン勢力に銃撃され、頭を撃たれるも、奇跡的に一命をとりとめ、今も平和賞活動をしている少女。

そんな経歴はニュースでも聞いたことがあった。

本を読むと、その過酷な彼女らの現実がわかる。
パキスタン北部のスワート。
マララが生まれたとき、母は村人から哀れまれる。女の子だからだ。生まれたのが男の子だったら、祝砲があげられる。女の子だったら、カーテンの後ろに隠す国なのだ。
日常生活の細かいことから、学校教育から、働くことから・・・女の子は全てにおいて規制がかかる。
けれど、マララの家族の考え方は違う。
マララの父親は大学まで進学し、学校を建てた。校長であり、教師であり、用務員的な仕事までなんでもやる。そして、男子だけでなく、女子にも教育が必要だと訴え続けた。
911テロ。
タリバンたちの暴力的支配。パキスタン政府も警察もあてにならない。
マララの父親やマララは、平和や女子教育の大切さを訴え、ついに命を狙われることに・・・そして、マララは、スクールバスで帰宅中に襲われたのです。



日本でも、男性中心社会で、女性は家庭でも社会でも立場が低いとされてきた時代があるけれど、
それって、武家の時代の名残りというか、お家大事のキツイところはそうだけど、女性だってそれなりに、力はあった。(とことん差別された人ももちろん多いけど)
パキスタンに比べたら。
もちろん、パキスタンはみんなこうだ、と一口には言えないほど、部族ごとに細かく違いもあるらしいのだけど、
それでも、日本のそれとはまるで違う。
顔を隠さなくてはならない、外で思いっきり遊べない、学校へも行かなくてもいい(行けても低学年くらいまで)。食べ物も違う。

そして、決定的に違うと感じたのは、報復。
やられたら、やり返す。決して、忘れない。
屈辱をうけることは耐えられない。(そりゃそうだけど)
基本的に疑り深い。
親切にされても「ありがとう」は言わない。言葉だけのありがとうは返さないけど、恩義はいつか必ず返す。
客人はきちんともてなす。

でもこれらは、この土地で生き抜くための知恵でもあったのだとわかる。女性を閉じ込めておくのは、守るため、という所からはじまったのだとも思う。

イスラム教のことはほとんど知らないけど、本来、
人を殺すのを良しとする宗教ではないことは確か。
報復の連鎖で、誰らを殺せばいいというのは、間違った解釈だと、きちんと判断できる人を育てるのは、やはり教育。

マララさんのノーベル平和賞の受賞は、西洋思想観点からのものだという批判も耳にしたことがあるが、それは違う。
イスラムの教えを守ってしても、女性は学ぶ機会も働く機会もあるべきだと思う。そのやり方は、西洋とは違うかもしれないけれど。

読みやすい文体で語られているが、内容は重い。
でも、世界で起きていることを知るべきだと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2014年10月26日
読了日 : 2014年10月26日
本棚登録日 : 2014年5月13日

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