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「容疑者X献身」東野圭吾原作 映画鑑賞感想文
直木賞受賞作の映画版です。
ガリレオシリーズの映像をテレビ版も含めて初めて観ました。
とても面白かったです。
小説の映像化というのは難しいものだと思いました。
小説が素晴らしいということは物語がしっかりしているということなので良い映像が出来る可能性は高いです。
しかし優れた作品であればあるほど読者もファンも多く、読者の頭の中で想像された映像と映画として作られた映像のギャップが生じる可能性も高まります。
そのため「原作の方が良かった」という感想が多く聞かれるようになるでしょう。
プロ集団の作った映像より個人の想像の方が優れている、とも言えますがそれは当然です。
映像は現実にあるロケーションでしか撮影できないですし、登場人物の容姿は各自の脳内で大きく違うわけですから。
この映画と私の頭の中では「石神」という登場人物に大きな容姿の違いがありました。
映画では堤真一が演じておりネットのレビューでは堤氏の演技を絶賛する声が多数見られました。
私も堤さんは素晴らしいと思いましたが多少違和感がありました。
堤真一ではカッコ良すぎるのです。
私の脳内での石神はもっと冴えない姿をしていました。
身長は165cm前後、顔は丸顔、眼鏡使用、体型はやや小太りで、髪型にも無頓着、場合によっては寝癖のまま外出。
そんな人物像でした。
映画を見たことで石神像はある程度矯正されましたが、それでも私の脳内の石神と映画の石神は別人のようです。
それは悪いことではないですし、役者さんの演技を楽しむことは新鮮な発見につながります。
しかし臆病な私は「原作を越えないのではないか」という怖さ(せっかく観るんだから失望したくない)を伴って観るのは辛いです。
そのため、どちらかと言えば映像版を先に見るか、映像版を観ないという選択をしてしまいます。
それでもこの映画版「容疑者Xの献身」は私にとって忘れられない映画となりました。
なぜなら石神と湯川教授が雪山登山をするシーンが大変素晴らしかったからです。
(ロケ地は長野県白馬村にある八方尾根だそうです。映っているのは北アルプスの山々です)
3000m級の雪山登頂を果たした二人。
そこで石神は眼下に広がる山々を見てこう言います。
「うわぁぁぁ…美しい…。今の僕の人生は充実してる。この景色を見て美しいと感じることが出来る。」
このセリフ、このシーンは小説には無かったものです。
映画化のどこかの段階で誰かが挿入したものです。
監督か脚本家か、それとも原作者の意向か。
私はこのシーンにとても感動しました。
1年程前まで私は、山々の景色など「美しいもの」を見て「美しい」と感じるのは当たり前のことだと思っていました。
しかしそうではないということをこの冬体験しました。
メンタルの不調が訪れたとき、美しい景色、美しい木々、美しい絵、美しい音楽…
これら今まで当たり前に美しいと思えていたものが全く綺麗に感じられず、むしろその感受性の低下を自覚するのが嫌で目を背けてすらいました。
人が美しさを感じられるというのは本当に特別なことなのだ、という事実をこのシーンは教えてくれました。
物語の冒頭、石神は人生に絶望し自ら死を選ぼうとしていました。
その時、運命的に隣の部屋で事件が起き、密かに思いを寄せていた女性を救うため自らの命を賭けることになったのです。
彼は自分の能力を総動員し、完全なるトリックを仕掛け無罪へ導こうとします。
愛する人のために命を懸けることが出来る。
これほどの人生の充実はないと思います。
その感情の真っただ中で見た神々しい山々の景色に、石神は心の叫びとも思える先のセリフをつぶやいたのです。
おそらく「石神」という名前は原作者が山岳の自然を象徴して付けたものでしょう。
その思いを映像化するために映画で挿入された名シーンだと思います。
私は今後も気持ちが弱った時にはこのシーンを思い出したり見返えそうと思いました。
そしていつかどこかの山頂で、石神と同じ充実した気持ちを味わってみたいです。
2015年5月3日
kokuban
- 感想投稿日 : 2015年6月6日
- 読了日 : 2015年3月16日
- 本棚登録日 : 2015年3月11日
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