本来なら下巻のレビューに書くべきだろうが、全体としての所感をすでに書いてしまったので、敢えてここで触れる。
この作品は感動の最後を迎える(少なくとも私は)わけだけが、終わり間際の文章に、普通に独立した一作品として読むには「おいおい、ミステリーでそれはないだろう……」と言われても仕方ないような、ある意味余計な表現が出てくる。
逆にそれは辻村深月ファンにとっては「この二人はあの二人だったのか」的な、もう一つの感動というかうれしさというか、そういう気分を抱かせてくれるのだけれど。
これには確かに賛否両論あって然るべきだろう。
“作者の遊びが過ぎるのではないか”と言われて仕方がないようにも思う。
この作品より先に「ぼくのメジャースプーン」を読んでいなければ、その台詞の意味が全く理解できないからだ。
だから、この作品は何かの賞を取るということはないのだろう。
その部分は、重大な瑕疵として読まれてしまうはずだから。
作者が読者、或いは自分の作品に対するファンへのメッセージ、もしくは楽しませるために”その禁断の謎解き”を入れるのがどこまで許されるのか、という論争まで発展しかねない。
難しいところだ。
ミステリーとしては反則技だろう。
ただ、私はこの作品を「ぼくのメジャースプーン」より先に読んだが、それでも感動に打ち震える素晴らしい作品であることに疑いを持たない。
その部分の瑕疵が気になるとしてもだ。
私が何を書いているのか、この「名前探しの放課後」と「ぼくのメジャースプーン」の両方を読んでいない方には全く分からないことだろうが。
まあ、最後までこの作品を読んでください、と言うしかないか。
- 感想投稿日 : 2012年5月4日
- 読了日 : 2011年11月10日
- 本棚登録日 : 2012年5月4日
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