人の顔色ばかりうかがっていた主人公が、あるきっかけを機に『自立』し、顔色ばかりうかがうのではなく、自分ひとりで生きていけるように生きていく物語。
官能の部分が、というレビューをよく目にするけれども、そこはあくまでそういう部分が強く全面に押し出されているだけで本質ではない。と、思う。
だったらしょっぱなからそういった文章だけで構成していけばいいだけのはなし。
これはあくまで、(自分が自分を、もあるし、他人から自分が、ともいえるのだが)押さえつけられていただけの自分じゃなくなる、独り立ちするという物語だ。
演劇の世界にのめりこみ、脚本家としても成功し、順風満帆な生活を送り、でもそれは自分の才能もさることながら他人に押さえつけられていたからこそ続いていたしあわせで、しあわせのかたちは一つだけではない、ということを知った、じょせいのはなし、なのである。
おんなだけでも生きていける世の中にも、なってしまった。細胞の問題だけれども。この作品でそういった意味合いの言葉は出てきていないけれど、それだけ、女性がちからを持つ、とは、男性にとっては恐怖の対象でしかないのだろう。
男性は、自分に属さない女性を厭うものである。
だから、主人公が自分のちからで生きると決めたとき旦那である省吾は猛反対したし、傾倒させた志澤はにこりとほほえんだ彼女に毒気を抜かれた。離れそうになったと知ってからいそいそと愛情表現を始める岩井、なんだかんだ言いながら自分のものにならないと拗ねる大林。坊さんはスルーで←
なんだ、オトコってこんなに軟弱だったっけ?とげんなりする奈津の姿が目に浮かぶ。
志澤がいなければここまで独り立ちすることもなかったけれど、あんな口調の人間にトキメく奈津がよくわからない。まあ女性は得てして多少強引な自分のことを好きな人、が好きだからなあ。あくまで自分に好意を寄せていて、リードしてくれる、ということ。
世の中のレイプとかとは違うから、それをはき違えると大変な目に合う。
恋愛体質、なるほど言いえて妙だ。恋愛していないと枯渇してしまうのだろう、奈津は。だれかを好きでいないと、だれかから好きでいられないと、哀しくなる、寂しくなってしまうわけだ。
誰かに共感するわけではなかったけれど、一度好きになった人でも嫌悪してしまうとふれたくなくなる、というのにはうなずけた。
いくら好きでも、傾倒していても、ふとした瞬間からほころび始めて、嫌悪という感情が浮かんでしまうと、さわられることすら厭う。興味が失せたとか、なにも感じないとかではなく、ただ、嫌悪。
とりあえず、旦那の省吾はモラルハラスメントが過ぎる。ほんとう、自分じゃ正しいと思っているから、たちが悪い。世の中の男性諸君、省吾とおんなじことをだいたい一回はおこなっているって、わかってますかー?w
あ、ちなみに四百ページうんたらだったんだけれどもまあ一日で読み終えちゃったよね。
- 感想投稿日 : 2014年7月23日
- 読了日 : 2014年7月23日
- 本棚登録日 : 2014年7月23日
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