明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった

著者 :
  • 亜紀書房
2.92
  • (0)
  • (2)
  • (8)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 45
感想 : 7
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750510156

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 単行本が出たころに読んでみたいと思っていたのに、読みそびれたまま、もう文庫本も出ていたのだった。図書室で単行本をみかけて借りてきて読む。原田病を発症してからの著者の日記をまとめたもののうしろに、ちょっと変わったお医者さんとの対談が2本ついていた(この変わった医者との対話のところが、よかった)。

    原田病は、名前だけはぼんやり知っていたけど、詳しいことはほとんど知らなかった。自己免疫疾患の一種で、メラニン色素が攻撃対象になるので、色素の多い目の症状が一番強く出やすく、おおむね眼科の病気と思われているそうだ。が、発症してからの不調その他が綴られた日記を読んでいると、原田病→眼科というような「縦割り」で病気を見るばっかりなのは、どうなのだろうと思った(そこのところが、巻末の対談でいろいろ語られている)。

    発症してから「見え方」がぐにゃっと歪んで、それまでと変わってしまった著者。ステロイド治療を受けたあと、視力としては回復したものの、「視力1.2」といっても、「見え方」が発症前と同じわけではなく、いろいろな不具合を感じている。頭痛や耳鳴りなどの不快な症状も頻発。

    「見え方」は視力だけではないことを、巻末対談「見えるということ」で、若倉雅登さんという「神経眼科」のお医者さん(こんな専門があることを初めて知った)と著者が話し合っている。
    ▼[若倉] …もうひとつ付け加えたいのは、視力は0.3や0.4あっても、見え方というのは視力がすべてではないということですね。
     [森] そうなんです。視力は私も依然と同じように、1.2あって、それはありがたいのですが、やはり見え方が全然違うんです。
     [若倉] 視力というのは見え方の質は評価していないわけです。視力はじっとまっすぐに見た状態で5メートル先にある検査表のCという文字の方向を識別するだけですから。視覚機能のほんの一部しか反映していません。(p.233)

    今までそんな風に言ってくれる医者はいなかった、という著者に、若倉さんは「視力検査で、Cという形の上下左右、開いている方向は認識できても、それは見え方の質とは別の話です。しかもそれは視野全体の真ん中だけのことですからね。全体を反映しているわけではない」(p.234)と言い、視野のあちこちに感度の悪いところがあるのだろう、視野全体の感度検査ならもう少しそういうことも分かるのだが、ただ視力検査をするだけでは、医者には実感として「どれだけ森さんがつらいのか」分からないだろうと説明してくれる。

    ▼[若倉] 網膜の感度検査の機械はどこにもありますが、結局、医者は患者がどんなに見にくいのかということに、患者の実感に関心がないんですよ。視力が1.2出ているので、それでいいというわけ。もうひとつの理由はおそらく、感度検査をしたって治らないと思っているからです。でもそんなことをいったら、そういう検査はほかにもありますよね。たとえばMRIで小さな脳梗塞を見つけて、治るのかといわれれば治らない。つまり医者は今ここにいる患者さんの実態を把握して、これを患者さんと共有するという姿勢が欠けているんです。
     [森] 私は原田病というのは全身病だと思っているんです。
     [若倉] その通りです。全身病です。
     [森] それまでになかった、頭痛、耳鳴り、めまいがけっこうひどいんです。(p.239)

    眼科へ行って眼底や視力を調べても「特に異常なし」。だから、ちょっと頭痛が…と言えば「脳神経科へ」と言われ、ちょっと耳鳴りが…と言えば「耳鼻科へ」と言われ、それで脳神経科や耳鼻科で検査をしてみても「とくに変わったところはない」と言われておしまい。そんな著者の経験を聞いて、若倉さんはこんなふうに言う。

    いまの医学では「治せない」かもしれない、「ただ、医者にいちばん欠けているのは、患者のそういった気持ちを実感としてわかろうとする姿勢なんです」(p.238)と。

    もうひとつの対談、津田篤太郎さんという、京大医学部で学んだあとに北里大学で東洋医学(漢方)を勉強し、西洋医学と東洋医学を併用して治療にあたっているお医者さんとの話も、おもしろかった。津田さんが最後にこう言っているところは、慢性病と診断されていろいろな制限のある生活をしていたことがある私には、すごくしっくりきた。

    ▼重いとか軽いとかは、人によっても違いますから、慢性病を得たときに、僕は病気になる前に戻るという考え方よりも、病気になったことをスタートとして、未来をどうしていくのか、そのことを考えるのが治療だと思っているんですよ。(pp.217-218)

    日記のなかには、「その日が来てしまった」と、肺がんを患っていた父親が亡くなったときのことも書かれている。タクシーに飛びのって病院へ駆けつけるも、「父はもう死んでいた。息はなかった。(略)誰も死に目に会えなかった、とガッカリする。」(p.98) ここを読んで、寝ている間に死んでしまった母の死に目にも、誰も会えなかったなーと思い出したりした。

    その後の葬儀についての日記を読むと、死んだことをどこまで誰に知らせるか、というのは結構大事。「知らされた方々も知れば来ないわけにはいかない」(pp.99-100)のだから。母が死んだとき、母の住所録に名前のあった方には(どういう関係なのかは本人が死んでいるのだから、こちらには十分わからず)「お知らせだけ」と言いながら、あちこち電話をかけた。あのときは、あれでよかったのかなーと今更思う。

    目の見え方がすっかり変わって、長いこと見たり、集中するのが難しくなったらしい著者にとって、ゲラを見るのは大変だったんやろうなーと思うくらい、あちこちに誤字やら余り字があった。それがまた、病気になったことの一面をあらわしているようにも思ったが、編集側でのチェックをもう少しできなかったのだろうかとも思った(文庫では直っているのかなと思ったり)。

    (8/13了)

    文庫は、ちくまから。
    『明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった』

  • 原田病、もしくは原田氏病は、「腹出し病」じゃない。
    ほんとにある病気で、かなりの重病である。この珍しい難病と戦う手記。
    「谷根千」が廃刊になった背景にはこんな事情もあったのか?と思わせる、悲喜こもごもの闘病記。
    健康に自身のある人もぜひ読むべし。

  • 身体
    病気

  • 916
    免疫性疾患、原田病に罹患した作者のルポルタージュ

  • この本を読むまで、「原田病」の存在すら知らなかった。本文に出てくる著作のいくつかは読んでいるが、それらが闘病中、闘病後の作品であることももちろん知らなかった。病を知るよいきっかけになったと思う。

全7件中 1 - 7件を表示

著者プロフィール

1954年生まれ。中学生の時に大杉栄や伊藤野枝、林芙美子を知り、アナキズムに関心を持つ。大学卒業後、PR会社、出版社を経て、84年、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊。聞き書きから、記憶を記録に替えてきた。
その中から『谷中スケッチブック』『不思議の町 根津』(ちくま文庫)が生まれ、その後『鷗外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『彰義隊遺聞』(集英社文庫)、『「青鞜」の冒険』(集英社文庫、紫式部文学賞受賞)、『暗い時代の人々』『谷根千のイロハ』『聖子』(亜紀書房)、『子規の音』(新潮文庫)などを送り出している。
近著に『路上のポルトレ』(羽鳥書店)、『しごと放浪記』(集英社インターナショナル)、『京都府案内』(世界思想社)がある。数々の震災復興建築の保存にもかかわってきた。

「2023年 『聞き書き・関東大震災』 で使われていた紹介文から引用しています。」

森まゆみの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×