もう既に韓国に20回以上も渡り、主に歴史と平和の施設を巡って来た私なのに、島民の三万人以上も犠牲になったと云われる1948年の「四・三事件」については、今まで記念碑一つ、展示の一つも見たことがなかった。よって、名前だけは聞いていたが、そのほとんど全貌を、この著名な在日詩人によってここまで知らされることになるとは、読んで見るまで全く想像出来ていなかった。もっと緩やかな回想記を想像して読み始めたのである。
私は、前々回の長い韓国旅行の終わり頃に、筏橋(ボルギョ)で、麗水・順天(ヨス・スンチョン)事件から始まり智異山ゲリラ抗争に取材した「太白山脈」の存在を知った。あの小説は「四・三事件」「麗水・順天事件」が潰された直後の1948年から始まる。日本で見ることもない骨肉相喰むどろどろとした闘いに圧倒され、私は小説ではない、歴史的な事実の展示を急遽探して麗水・順天を回った。そして虚しく帰った。
この回想記には、当事者だけが語れる、圧倒的なリアリティある「証言」があった。私は小説「太白山脈」には誇張があるのではないかと、まだ疑っていたのだが、誇張はほとんどないことを確信した。8.15の直後に踊り狂うほどに喜びを爆発させた庶民、独立のために奔走する知識人、いち早く復活した共産党員、一時期鳴りを潜めた親日右翼は半年もせぬうちに親米右翼として復活する、米軍の思惑、ソ連の思惑、叩き上げの共産党員朴憲永と急進共産党員金日成との共同と決裂、裏切り、爆発する暴力の犠牲者たち、ホントに何万人もが数日の間に同族同士が殺しあってそれが歴史の闇に消えてゆく。「太白山脈」とほとんど同じことがその2年前の済州島で繰り広げられていたのである。
戦前の日本共産党もそれを弾圧する側も、党員は特に自らの命を削る活動をしていたが、最後まで武器は持たなかったし、持てなかった。朝鮮共産党はしかし、武器を持ち、持たざるを得なかった。それが決定的だったのだろうか。わからない。そしてその違いが何処から来たのか、私は展開出来ない。しかし、その違いが圧倒的な大きな悲劇となって、朝鮮民族に大きな「恨(ハン)」を残していることは確かだろう。
その一翼に戦前の日本軍国統治が影を落としてはいるが、さらに大きな影を落としているのは、米軍であり、親米の右翼たちだった。そのことの解明は、しかしこの新書の役割ではない。この新書で、私は「四・三事件」の詳細を知った。今度はせめてこの書を持ちて済州島を歩かねばならないと思った。
この書の本題からは少し離れるが、1929年生まれの金少年が、いかにして皇国少年になったかの記述はとても興味深かった。それは、暴力によってよりもむしろ童謡や抒情歌と云われる歌や「日本語教育」によってなったという。
人間が変わるというのはそのような過酷な暴圧や強制によってよりも、むしろもっとも心情的なごく日常次元のやさしい情感のなかで、そうあってはならない人がそうなってしまうのですね。(53p)
詩人は言葉に敏感であると共にとても厳しい。蓋し、尊重す可きだろう。
2015年6月8日読了
- 感想投稿日 : 2015年6月8日
- 読了日 : 2015年6月8日
- 本棚登録日 : 2015年6月8日
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