夜明け前 (第1部 上) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1954年12月28日発売)
3.50
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感想 : 36
4

 『夜明け前』に一番最初にとりかかったのは高校生のときでした。その後も何度か読みはじめては途中で投げ出してしまっていたので、今回は少し構えて読み始めたところ、それなりに時間はかかりましたが、たいした抵抗もなく最後まで読めました。なぜ昔は読み通せなかったんだろうと不思議になったくらい。若い頃とは本の読み方も変わってきているのでしょうか。

 有名な作品ですが、あらすじを振り返るために、新潮文庫のカバーにある売り文句を引用します。

第一部(上)
 山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。

第一部(下)
 参勤交代制度の廃止以後木曽路の通行はあわただしくなり、半蔵の仕事も忙しさを増す。時代は激しく変化し、鎖国のとかれる日も近づく。一方、幕府の威信をかけた長州征伐は失敗し、徳川慶喜は、薩長芸三藩の同盟が成立していよいよ倒幕という時に大政を奉還した。王政復古が成り立つことを聞いた半蔵は、遠い古代への復帰に向かう建て直しの日がやって来たことを思い心が躍るのだった。

第二部(上)
 鳥羽伏見の戦いが行われ、遂に徳川幕府征討令が出される。東征軍のうち東山道軍は木曽路を進み、半蔵は一庄屋としてできる限りの手助けをしようとするが、期待した村民の反応は冷やかなものだった。官軍と旧幕府方の激しい戦いの末、官軍方が勝利をおさめ、江戸は東京と改められて都が移された。あらゆる物が新しく造り替えられる中で、半蔵は新政府や村民の為に奔走するのだった。

第二部(下)
 新政府は半蔵が夢見ていたものではなかった。戸長を免職され、神に仕えたいと飛弾の神社の宮司になるが、ここでも溢れる情熱は報われない。木曽に帰り、隠居した彼は仕事もなく、村の子供の教育に熱中する。しかし、夢を失い、失望した彼はしだいに幻覚を見るようになり、遂には座敷牢に監禁されてしまうのだった。小説の完成に7年の歳月を要した藤村最後の長編である。

 上の文章は売り文句ですから、「幕末から明治維新の激動の歴史を生きた青山半蔵の波瀾万丈の一生!」という感じにも読めますが、藤村の文章は、歴史も木曽路の宿場での生活風景も坦々と描写していきます。司馬遼太郎や吉川英治を読むようなわけにはいきません。
 徳川幕府やそれに対する長州・薩摩の動向など大局的な歴史の動きと、馬籠宿の人々の生活や半蔵個人の内的な葛藤が交互に叙述され、物語はゆっくりと、明治半ば、半蔵が発狂し死に至るまで、坦々と流れていきます。曲折はあっても押さえた筆致で、派手な山場を作るようなかたちでは描かれていません。
 この、坦々と話が進行していくことに若い頃のわたしは耐えられず、途中で放り出してしまったのではないかと思われます。しかし今回は、今年の夏、馬籠を訪れて、藤村記念館などを見てきた(青春18きっぷ 中央線)ことも影響しているのでしょうか、読んでいると大名行列を迎えるための当時の宿場での人の動きや、木曽路の風景をぼんやりと想像することができました。人足が何百人、馬が何十頭で荷駄がどれほどで賃銭がいくらといった数字もきちんとふまえて、具体的に描かれており、平易でわかりやすく、しかも骨格のしっかりした文章で、なんとなくその時代を感じさせられるような気がしました。
 派手な山場のないことも、逆に、抵抗しようもない時の流れをあらわしているようにも感じられ、なんとなく納得して、そのまま最後まで読み終えてしまいました。
 
 しかし、非常に気になったところもあります。それは例えば、主人公半蔵が
「そりや一部の人達は横浜開港で儲けたかも知れませんが、一般の人民はこんなに生活に苦しむやうになつて来ましたぜ。」(前掲書p78)
と言ったりするところです。
 「人民」という言葉は、幕末にはどうにもそぐわない。はたしてこの時代にこんな言葉があったのかどうか、あったとしても、こんな風に使われていたのかどうか。小説が書かれた昭和初期の「人民」とはよほど意味あいが違っていたのではないか。そんなふうに感じるところが、あちこちにあります。

 この問題を、高島俊男は『お言葉ですが…6 イチレツランパン破裂して』の中で、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)に触れながら、こう書いています。
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 この『時代小説評判記』(昭和十四年、梧桐書院)のほうに、島崎藤村『夜明け前』の批評がはいっている。
 『夜明け前』は小生も若いころに読んだことがあるが、実にばかばかしい小説である。どこがばかばかしいかというと、江戸時代末期の、木曽山中の人々の言うこと考えることが、まるっきり現代人なのだ。言ってみれば、戦前版『少年H』ですね。
 この点は三田村鳶魚もくりかえし批判している。たとえば登場人物の発言に「庄屋としては民意を代表するし、本陣問屋としては諸街道の交通事業に参加する」という個所がある。「民意を代表する」だの「交通事業に参加する」だのということばが江戸時代にあるはずがない。ことばだけでなく、そういう観念が近代のものである。
 やはり登場人物の「君だつてもこの社会の変動には悩んでゐるんでせう」云々というせりふについて、鳶魚はこう言っている。

<この言葉遣並にこの言葉の持ってゐる意味といふものは、嘉永、安政あたりの人の頭に在るものぢゃない。社会といふやうなことは、当時の人の考へられるものではありません。言葉の形だけを云ふのではない、意味に於ていけないのです。>

 この「意味」というのが、わたしの言う「考えかた」「観念」である。「社会」ということばは明治時代に society の訳語として作られたものであるから、江戸時代の人の口から出るはずのないこともとよりであるが、そもそも「社会」という観念が江戸時代にはないのである。
 その他、裃のこととか関所手形のこととか、鳶魚は作者の無知を種々指摘していて、教えられることが多い
(高島俊男『お言葉ですが…6 イチレツランパン破裂して(文藝春秋、2002)』鳶魚の『夜明け前』批判、p286)
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 三田村鳶魚は、ご存じ江戸博士で、この『時代小説評判記』と『大衆文芸評判記』で、戦前の時代小説の時代考証がいかにデタラメであるか、徹底的にやっつけています。悪口を読むのが好きなわたしとしては、以前に非常に楽しく読んでいるのですが、もう内容をすっかり忘れているので、また引っぱり出してみました。
 高島俊男の言うとおり、藤村の『夜明け前』はいろいろ間違いがある、とんでもないと指摘した上で、しまいには「もう読むに堪えぬ」と題して、こう書いています。書かれた時代(昭和11年)を考えると、ちょっと恐いくらいです。

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 ただその上に何としても許すことの出来ないのは、君臣の大儀を解せぬことである。これは決してものを書く、書かぬに拘らぬ話で どうあっても許すことは出来ない。随分でたらめのひどい大衆小説が行われる世の中だから、いくらボロを出しても、大衆小説と同じだといってしまえば、それでいいようなものですが、皇室に対する考え方、心得方の間違っているということは、許すことの出来ぬ事柄であります。
 私はもうこれから先、どんなことが書いてあるかということを、読むに堪えません。かような書物を、何のためか、読み耽る者どもがあるのを──大衆小説の読者をばかばかしいといって看過するのとは違った意味で、甚だ心配に堪えぬ次第であります。島崎さんも帝国の臣民に相違ないから、この点に対しては、よく熟慮されて、改悛の心状を明らかにされることを急がなければなりますまい。(『三田村鳶魚全集第廿四巻(1976、中央公論社)』p246)
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 これはつまり、和宮降嫁のくだりで和宮に「様」をつけないのは不届千万だとか、江戸時代の農民にも帝国臣民の心構えがあらねばならぬ、藤村は君臣の大儀を解せぬ、非国民だと罵倒しているわけです。しかし、高島俊男も先に引用した文章の後で、それは現在のイデオロギーで過去を裁断し統御しようという考えだ、いわゆる「正しい歴史認識」を押しつけようとするものだから、鳶魚のこの部分はいけない、と書いています。

 『少年H』が出てくるのは、ベストセラーになった妹尾河童の『少年H』は、戦争の時代を少年の目で書いたことになっているが、山中恒・山中典子『間違いだらけの少年H』(1999、勁草書房)に書かれているとおり、戦後になってからの知識や感覚を戦中の少年が持っていたとして、<勝っとる勝っとるいうて、大本営発表を信じてたらアカンのやなあ>と当時思ったなどと書いてあるトンデモ本だ、これも「正しい歴史認識」を押しつけようとするものであるという趣旨です。
(高島俊男の『お言葉ですが…4 広辞苑の神話』(2003、文春文庫)には「江戸博士怒る」「タイムスリップ少年H」と題して三田村鳶魚と『少年H』についてそれぞれ書かれています。)

 さてこうなると、歴史認識とはなにか、歴史小説とはなにか、ということを考えざるをえません。またまた昔読んだはずの菊池昌典『歴史小説とは何か』(1979、筑摩書房)を引っぱり出して読み始めましたが、面倒くさい話になりそうなので、それはまた今度にしましょう。
 わたしの読後感としては、『夜明け前』が、高島俊男が言うような「ばかばかしい」小説だとは思いませんでした。たしかに登場人物達の考え方に違和感はあります。歴史の結果を知ってからの後出しジャンケンだという気もします。逆に、これだけ世の中の動きについて目配りができ、わかっているのなら、王政復古に過剰な期待を抱いて、裏切られたと狂うこともなかったのではと思ってしまいます。
 しかしこれは、自分の父、ひいては自分のアイデンティティを求めるために、歴史とふるさとを、藤村なりに再構成しようとしたのでしょう。
藤村全集の帯には、亀井勝一郎の「「夜明け前」は、父における人生悲劇と、近代日本の悲劇との、激しい交叉の上に、自己の悲劇を投影した作品である歴史文学であるとともに自己告白の文学である」という言葉があります。
 藤村関連の本を読んでみると、本人も家族もかなりスキャンダラスな人生をおくってきたようです。中でも西丸四方(精神病理学者、藤村の姪の息子、島崎敏樹、西丸震哉の兄)の「島崎藤村の秘密」(『現代日本文学大系13 島崎藤村集(一)』所収、1968、筑摩書房)は、親族の回顧談が中心となっていて、生々しいものがあります。そういう人生の中で、「自分のやうなものでも、どうかして生きたい」を主題として生きてきた藤村が、老境に入って自分の人生のよってきたるところを総括し、またフランス滞在の経験から明治維新の歴史をも見直してみようとしたのでしょう。

 先に述べたように歴史小説としては問題もありますが、最近の歴史小説は(と言ってもろくに読んでいませんが)、戦国武将が軒並み反戦平和思想の持ち主であるNHKの大河ドラマみたいな、時代錯誤のヒューマニズムドラマ、ホームドラマが多いような気がします。「歴史小説」と「時代小説」の境がぐちゃぐちゃになってなっているようです。それに比べればよほどしっかりしていると思えます。
 当時の平田国学信奉者たちの動向など、今まで知らなかったことを学ぶこともできました。藤村のふるさとの木曽路の生活については、時代を十分に感じさせるだけのものが描かれています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学
感想投稿日 : 2012年10月26日
読了日 : 2012年10月26日
本棚登録日 : 2012年10月26日

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