1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

著者 :
  • 新曜社 (2009年7月1日発売)
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感想 : 27
4

ネットで図書館に予約したんだけど、本を取りに行ってみて、ビックリしてひっくり返った。
めちゃくちゃ分厚い本なんだよ。
デカすぎるだろ!って、ツッコみそうになった。
それが、上下、2巻もある・・・・・・。

内容は、直接本人に会ってインタヴューする、とかじゃなくて、ひたすら、文献を読み漁って、書き綴っていく、という・・・・・・・。
なんなんだよ、コレっ???????

でも、読んでると、知ってる名前、というか、親しんだ名前がいろいろ出てくる。

中核とか革マルとか、時代錯誤も甚だしい団体名がゾロゾロ出てくるので、アッケに取られて、イッキに読んでしまった・・・・・つーか、イッキに読み飛ばしていった。

具体的に、目についた名前は、
(上巻)
鶴見俊輔、小田実、渋谷陽一p.76、宮崎学p60、吉本隆明、寺田修司、赤瀬川源平p.81、レヴィ=ストロース、フーコー、ラカン、バルト、デリダp.84、宮崎学、四方田犬彦、小阪修平、藤原新也p.104、秋田明大p.161、蓮見重彦、青木昌彦、西部すすむ、黒田寛一p.182、唐牛健太郎、大河内一男、立花隆、丸山真男
(下巻)
船曳建夫、川本三郎、筑紫哲也、浅田彰p.839、ウォーラーステインp.851、金子勝、重信房子

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<本書の研究対象>
1968年と通称されることのある若者たちの叛乱の時期を規定すると

1958年にブント(共産主義者同盟)が日本で結成された

1974年に、東アジア反日武装戦線による三菱重工ビル爆破
あるいは、1978年の成田空港管制塔占拠事件まで
p15序章

だが、本書では、
1965年の慶応義塾大学の学費値上げ反対闘争

1972年2月の連合赤軍事件
          を一つの時代区分とする。
p16

<本書の主なテーマ>

高度成長という社会的激変期に、若者たちがどのような状況に直面していたか?
彼らの集合的メンタリティはどのようものであったか?
どのような活動をしようとしたか?
それが、いかに失敗したか?
結果として、日本社会に何が遺されたか?

本書では「1960年代の文化的革命」については、主たる研究対象にはしない。
p16

研究方法は、主に、文献調査手法の調書を活かすやり方。
p21
これは、著者が『単一民族神話の起源』以来、15年間とってきた手法を貫こうとしたものである。
p22

本書の主題は、あの時代の若者たちの叛乱を、日本現代史の中に位置づけなおし、その意味と教訓を探ることである。
p22

第1部

高度成長と議会制民主主義への不信 p25

1960年代の中高生「団塊の世代」にとって受験戦争がひどく抑圧的であった。
p48

ベトナム戦争の影響 p60

日本でゲイやレズビアンの社会運動が起こるのは1990年代から。
p76

「1968年の文化革命」なるものは、後年に神話化された部分が大きい。
p76

本書で「文化革命」を重視しない理由は
当時の文学や演劇、芸術、映画などの改革者は、吉本隆明、寺山修司、三島由紀夫、赤瀬川原平など、「戦中派」の人々であって、当時の若者ではないから。
p81

フランス現代思想が1968年の思想と称されることがあるが、これは事実に反している。
レヴィ=ストロース『野生の思考』
フーコー『狂気の歴史』『言葉と物』
ラカン『エクリ』
バルト『零度のエクリチュール』
デリダ『グラマトロジーについて』
これらは、いずれも、1950年代から1967年までの著作であり、1968年のパリ五月革命の刺激で生まれたものではない。p84

東大全共闘などは、ヒッピーの「感性の解放」には関心が無かった。
p87

アメリカのニューレフトは、中上層出身が多く、豊かな文化的背景を持ち、新しい文化にも通じていたのに対し、
日本の学生活動家は中下層出身が多く、文化活動をする時間的経済的余裕が無かった。
p96

全共闘の学生たちはバリケード内でマンガを愛読していた。
1970年3月よど号ハイジャック事件で、赤軍派の犯人グループは「われわれは『あしたのジョーである』」という声明を出した。
p112

日大全共闘の議長だった秋田明大(あけひろ)は、1968年の対談で述べた。
「まず第一に、人間として生きたいのだと宣言した」
秋田は、運動の具体的な展望や、理想とする社会のプランをまったく述べず、ただ、人間として生きたいと語った。これは、当時、他の先進諸国でもおきた学生叛乱にも共通していた。
つまり、言葉にならない閉塞感を打破したいという、もがき。
p158

若者たちは、不満や拒否を述べることはできても、何を求めているかを言葉にできなかった。
ソ連軍の1956年ハンガリー侵攻、1968年チェコ侵攻などで、彼らは既存の社会主義国に失望していた。さりとて、社会主義に代わる理想社会像を描く能力は無かった。
p160

彼らは、本当にマルクスを信奉していたのではなく、マルクスの言葉を流用して、自分たちの不満を表現していた。
p162

1953年スターリン死去。フルシチョフが平和共存を唱えて冷戦を緩和。
朝鮮戦争が休戦。
1956年フルシチョフがスターリン独裁を批判。
トロツキー再評価が1950年代後半から台頭した。
黒田寛一などが「日本トロツキスト連盟」を結成。
p180

唐牛健太郎全学連委員長

戦前の共産党委員長から右翼に転向した田中清玄は保守政治家、治安関係者、山口組組長、福田恆存やハイエクともコネクションがあった。

早大は革マル派の、法政は中核派の拠点となった。
p226

1966年当時
早大の民青系活動家だった宮崎学。
p248

アメリカでは、ニューレフト学生活動家は上流階層出身で、社会的ボヘミアニズムと政治的ラディカリズムとの間の新生児だった。
ヒッピーカルチャーなどと親和性があった。
p253

セクトごとのヘルメットのデザインの違いが一目で分かるページが面白い。p.299
何の役にも立たない。

大河内一男東大総長は、卒業式を行うためには警察力の介入も辞さないと記者会見で発言した。
p656

マルクス主義経済学者だった大河内一男は論壇などでは左派的な発言で知られていたが、学内での秩序維持のためには保守的だった。
p699

丸山は進歩的文化人の象徴とされていただけに、全共闘系学生の軽蔑は丸山に集中した。
だが、丸山批判には、無知や誤解もあった。
p969



下巻の最後が、『カッコーの巣の上で』の話で終わる、というのにも、驚いた。

なんなの、コレ?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 政治
感想投稿日 : 2016年3月2日
読了日 : 2016年3月2日
本棚登録日 : 2016年3月2日

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