女川佐々木写真館: 2011年3月11日、その日から

著者 :
  • 一葉社 (2012年3月1日発売)
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本棚登録 : 19
感想 : 4

今年3月に被災地視察をした折、女川のコンテナ村商店街で同行スタッフが入手したもの。
「女川の人が撮った写真集ですよ」とお店の人が言っていたため、郷土愛を抱き土地勘を知る人による町の光景だろうと思いましたが、実際にはもっと深い衝撃に根差した本でした。

逗子に住む著者が、女川で写真店を営んでいた両親を震災の津波で失ったことがきっかけで撮り始めた震災後の写文集。
写真がメインかと思いきや、著者が震災後の女川を撮影しようと決心するに至るまでの経緯と心理が詳細に書かれていました。
本を開けた1ページ目に、その内容が詩のように簡潔にまとめられており、はじめから涙が止まらなくなりました。

突然、愛する両親と実家を失った著者の深い悲しみ。
故郷女川が、何もかもめちゃめちゃになったことを、すぐには受け入れられなかった戸惑いと拒否感が語られます。
かつてその土地で暮らしながら、今は別の場所で暮らす人がもてあますやりきれなさと無力感。
それはまさに、転勤族だった自分の感情と重なるものでした。

さまざまな震災写真を見てきましたが、人の暮らしに根差した身近な被写体をとらえたこの写真集は、見ていて本当に言葉が出てきません。
ただ、黙って、恐ろしさと衝撃を受け取るのみです。
命あるものも、ないものも、すべて破壊していった津波の猛威。
その爪痕がまざまざと写真に残されています。
その中で、なんとか生き続けて行こうとする者たち。
なにげない普通の生活がどんなにありがたいかということ。

なにもかもがめちゃめちゃになった写真を見ると、もう涙しか出てきませんが、子供たちの笑顔の写真が多数掲載されているため、救われた気持ちになりました。
著者は、父親が行っていた、学校の入学写真・卒業アルバム写真を、意志を継ぐ形で撮影担当したり、七五三記念写真を受け入れるなど、地元の子供の成長を記録する立場にあるため、子供たちの笑顔に接する機会も多いのでしょう。
きっと、著者の心も子供たちに癒されていることと思いまs。

この女川の写真が契機となって、国内のみならずNYでも写真展を開き、復興支援活動につながっているとのこと。
一人でも多くの遠くの人に、状態を伝えることの大切さを感じます。

父親がかつて撮った場所から定点観測のように撮り続ける写真も掲載されていました。
父と娘の絆と、繋がりゆくバトンを思い、ナット・キング・コールの「Unforgettable」に自分の声を重ね合わせた、娘のナタリー・コールを思い出しました。
時間を経た定点写真からは、破壊された町が、きれいにならされ、少しずつ建物が増えてくる様子がわかります。

その土地で商売を営み、被災して店舗を失っても青空の下でなお頑張り続ける人々が、名前とともに紹介されているところに、力強さを感じます。
この写真集が売られていたコンテナ村商店街で働く人の写真もありました。

「20世紀の匠達」とだけ称されて、名前のない白黒写真の人物像が続けて何枚も掲載されており、故人となった方々なのだろうと思いましたが、どの写真も皆、とてもいい表情をされており、佐々木写真館の腕の良さがみられました。

遺体確認作業の辛さも記されていました。
たとえよく知った肉親でも、パッと見てわからないということの衝撃。
DNA鑑定が必要なほど、判別できなくなっているそうです。
無数のご遺体の中からかすかな特徴を手掛かりに親を探すのは、想像を超えるつらい作業だったことでしょう。

著者の愛した両親のモノクロ写真が載っていました。
著者が撮影したものだとのこと。とてもあたたかい、なごやかな一枚で、いいご家族だということが一目で伝わってくるもの。
残念でなりません。

震災被害者としての悲しみに翻弄されながらも、女川復興のために自分がするべき協力活動を続けていくというのは、並み大抵の精神力ではできないことです。
読んでいるだけの私でも、状況に圧し潰されそうになり、先に進むのが相当辛く感じました。
繰り返し「風化させてはいけないことだ」と思います。
風化させ、人の記憶が薄らぐと、来たるべき災害被害がまた大きくなるからです。

父の遺志を継いで、佐々木写真館三代目を継ぐ決心をした著者。
書店では入手しづらい本かもしれませんが、目にした折にはぜひお手にとって見ることをお勧めします。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 写真・自然
感想投稿日 : 2012年6月15日
読了日 : 2012年6月15日
本棚登録日 : 2012年6月15日

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