シベリア出兵の史的研究 (岩波現代文庫 学術 137)

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  • 岩波書店 (2005年1月18日発売)
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第1章
ボルシェビキ政権の成立に対応すべく連合国パリ会議が開催された。この会議では「フォシュプラン」を含む諸論点に関して連合国間、特にイギリスとフランスの対立が大きく具体的な指針が設定されることはなかった。しかしその後ボリシェヴィキの独ソ休戦協定及び独ソ賠償交渉を受けて締結された英仏秘密協定において、イギリス案、つまりボリシェヴィキ及び反ボリシェヴィキグループ双方と接触し南ロシアに干渉する方針がフランスの承認を受け両国の方針の溝が埋められた。このような両国の接近にはボリシェヴィキの成立による東部戦線の崩壊が念頭に置かれており、特に石油及び小麦を中欧諸国(ドイツ及びオーストリア)が獲得することを防止する点に主要な目的があった。

基本的な流れは、連合国会議において明らかとなった仏伊のロシア干渉方針への米英日の反対。それに対してまずイギリスがフランスに歩み寄ったことが明らかにされている。その後、日本及び米国がどのように英仏伊の干渉方針に対応し最終的にシベリア干渉が実施されるに至ったのか、、それを描く前フリの部分にあたる。

第2章
前半は1章の前フリの続き、つまり南露干渉で一致した英仏が、どのようにして日本及びアメリカを説得しロシア干渉に導こうとしたかについて。具体的は当初イギリスはドイツが南露の軍需物質を奪取することを防止するために連合兵力で干渉すべきことを説いたが、南ロシアの状況の変化を受けて日本を受託者mandatoryとする単独干渉を支持し、その範囲も単に軍需物質の保護だけでなくさらに広い範囲への進出も含むことになった。フランスに関しては、特に対米でイルクーツク事件に言及するなどロシア干渉の道義的正当性を説くという戦略を採ることになる。

後半についてはボルシェビキ政権成立当時の日本の政治的内情について。ロシア革命が大陸進出のための「千載一遇の好機」であるという点で指導者の認識は共通していたが、その好機を活かす上で2つの問題が生じていたとさらる。第1に、国内的な問題、つまりロシア進出の方法を巡って本野らと原・牧野らで対立していたこと。軍事的・急進的進出対経済的・漸進的進出という構図である。第2に国際的な問題、特にアメリカの反応が問題となっており、日米間の調整が行われていたことが述べられている。

第3章
前半はボルシェビキ政権成立に対するアメリカの反応について。ランシングに代表される保守派とロビンスら実業家やハウスに代表される革新派が対立しており、その狭間で悩むウィルソンが描かれている。中盤はウィルソンの二つの覚書について。ブレスト・リトフスク条約の成立を受けシベリア干渉を主張する英仏の働きかけにより、ウィルソンはいったんは日本によるシベリア干渉を黙認する方針を固めるも、わずか一週間足らずでこの方針を撤回してしまう。永井は、このような方針の転回を、アメリカの道義性を重視するロビンス=ハウスグループからの影響に原因があるとする。後半はアメリカのシベリア不干渉方針の決定に対する英仏日の対応。英仏がアメリカの承認なき単独出兵を求める一方で、日本は出兵論者が本野ら単独出兵論者と山縣ら協調出兵論者が分裂し、後者が原・牧野ら出兵反対論者とともにシベリア不干渉方針主張する様が描かれている。

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感想投稿日 : 2014年8月20日
本棚登録日 : 2014年8月20日

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