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山谷 真さんの本棚 > Crazy for God: How I Grew Up as One of the Elect, Helped Found the Religious Right, and Lived to Take All of It Back


少佐の書斎»

プロテスタントのキリスト教会「救世軍」の少佐(牧師)の本棚です。makotoyamaya@twitter

レビュー by 山谷 真さん

スピリチュアリティー   読み終わった  読了日 : 2010年07月15日  5

1980年代に学生時代を過ごした福音派のキリスト者には、自分の根本主義的な信仰と、大学のアカデミックな教養と、これら二つが矛盾葛藤する苦しみを味わう中で、故フランシス・A・シェーファー博士の著作から助けを受けた、という人が多いのではないかと思う。

小生の場合、「信じる者は誰でもみんな救われる~♪」式の単純な救世軍の信仰と、ウォーラーシュタインの世界ヘーゲモニーシステム論と、二つが葛藤する中で、シェーファー博士の『理性からの逃走』を読んで、キリスト教的世界観の確立へと脱出することが出来た。

アカデミックな教養というのは多種多様であって、決して「ひとくくり」になど扱い得ない代物である。しかしシェーファー博士はこれに「人本主義」というレッテルを貼ることによって、ひとくくりにしてみせた。

次に博士は、「人本主義」の起源と成り立ちを西欧思想史の興亡の中で捉えて、人本主義が「人間の廃絶」へ至ることを、二項対立図式の枠組みで展開して見せた。すなわち、トマス・アクィナスの「恩寵vs自然」という二項対立図式が、時代を追って「自由vs自然」「自由vs機械」と変遷しつつ西欧思想史を根底から規定し続け、ついに「絶望の線」をわたって現代へ至り、「理性の否定」と「人間の廃絶」という結末をもたらす、という説明である。

この「二項対立図式」の枠組みによる説明は、改革長老派の神学思想家であったシェーファー博士が、スイスの山村のコッテージで、世界中からやって来るヒッピーと対話し、若者たちにキリスト教を弁証する方法として生み出したものだった。

シェーファー博士がヒッピーの若者たちと親しく対話し得たのは、博士が「人本主義」の文化をこよなく愛する理解者だったからである。博士の書斎には、現代の美術家・音楽家・作家・思想家の作品が並び、そこにはビートルズのレコードやシュールリアリズムの映画が含まれていた。

おそらくシェーファー博士の胸中には「人本主義」をめぐって三つの視点があったと思われる。第一、人本主義の文化をこよなく愛している自分。第二、人本主義の起源と成り立ちを理解している自分。第三、人本主義の結末が「理性の否定」と「人間の廃絶」に至ると知っている自分。

シェーファー博士の息子、フランキー・シェーファーが書いた回想録『クレイジー・フォー・ゴッド』では、博士が上記の三つの視点(あるいは気分)の間を、いつも揺れ動いていたように描かれている。

息子フランキーがシェーファー家の思い出を「悪ガキ」として露悪趣味的に描いているこの回想録においては、父である博士の日常の言動が、神学的にも思想的にも世界観的にも感情的にも、必ずしも首尾一貫していたわけではなかったことが「暴露」される。

父のもとにいて、父の思想を知り尽くしている息子は、父より雄弁に父の思想を語るスピーカーとして、父の助手となり、父にとってなくてはならぬ片腕となっていく。そうして、息子の日常の言動も内的世界も、やはり父と同様に首尾一貫していないのだ。父の思想を担う自分と、父の思想に反逆する自分に、分裂している。そのことを息子は、この回想録で包み隠さず告白する。背反する二つの自分が、それでもバラバラにならずに統合されているのは、父と一緒に山に登りスキーを滑り避暑地でお茶を飲み美術館をめぐるという「身体性」と「思い出」において、である。

父の思想の紹介者として全力を尽くしたいと願う息子フランキーは、父である博士が「人本主義の起源と悲劇的な結末」を映像によって説明する、という映画製作に若干20歳にして取り組む。こうして生まれたのが『それでは如何に生きるべきか』という全10巻の映像作品であった。息子は父と共に全米各地を回って、上映と講演をセットにしたセミナーを開催する。それが1970年代後半のことだ。

息子は、人本主義がもたらす「人間の廃絶」の目に見えるアイコンとして「人工妊娠中絶」を取り上げるよう、父を説得する。シェーファー博士は「あまり乗り気ではなかった」ものの、上記の映像作品の最後の部分に中絶反対の意見を挿入することを、しぶしぶ承認する。

全米各地での『それでは如何に生きるべきか』の上映と講演は大成功を収め、その結果、アメリカの福音派の天気図が全く変わってしまうことになる。それまでアメリカの福音派は、政治に無関心であり、中絶反対は「カトリックの争点」に過ぎないという、つき放した雰囲気であった。しかし、父の思想を父より雄弁に語る息子は、福音派の指導者たちを、こういう論理で説得して行った。「聖書的世界観の上に建国されたアメリカが、非聖書的な人本主義に侵されて、人間の廃絶へと向かっている。その目に見えるしるしが中絶の合法化だ。いま阻止しなければ、すべてが手遅れになり、われわれは全てを失うだろう。中絶反対にコミットしないキリスト者は、信仰を否定するのと同じだ」

上映と講演の成功により、博士と息子は、福音派の指導者と政治家から多くの賛同者を獲得して、有力な関係を築いた。こうして父と息子は、共和党支持層としての「キリスト教右派」の誕生に対して「産婆」の役目を果たすことになる。息子フランキーが熱心に推進した中絶反対が、それまで政治に無関心であった福音派が政治の世界に生まれ出るための「産道」となったのである。

人本主義がアメリカを侵している・戦いの場は中絶問題である・これに負ければアメリカは異教国と化す・この戦いを進めるのが共和党だ・共和党に投票を。こういう博士と息子の呼びかけによって、レーガン政権の誕生を実現させた投票集団としての「キリスト教右派」が1980年代のアメリカに突如として出現することになる。

ところが、である。アメリカを異教化から救うべく全米各地を講演して回りながら、息子フランキーは、自分の知らなかった「アメリカ」を見出し、アメリカを知り、アメリカのリベラルな文化、リベラルな人々を愛して行くのである。ここにおいてまたもや、息子の日常の言動と内的世界は、首尾一貫せずに分裂して行く。それは、父である博士が、人本主義を憎悪し反対しつつ、人本主義の文化をこよなく愛し理解していたのと、よく似ている。

息子フランキーは父の死のあと、「キリスト教右派」が自分の思ってもいなかった異様な姿に変質して行くのをつぶさに見て、嫌悪感を募らせて行く。中絶に反対していた福音派が、移民に反対するようになり、民主党の大統領を反キリスト呼ばわりするようになり、イラク戦争を推し進めるようになり、医療保険制度改革に反対するようになり、そのすべてが、博士と息子のアジェンダに本来なかった「醜いもの」ばかりであった。

嫌悪感に耐えられなくなった息子は、ついに父の信仰を捨てる決意をする。それが1990年代のことである。そうして、福音派への嫌悪感の全部をジェリー・ファルウェル、ジェームズ・ドブソン、パット・ロバートソン、ゲイリー・ノース、ルーサス・ラッシュドゥーニーといったキリスト教右派の指導者たちに、まるで被害妄想のように投影して、ケチョンケチョンにこきおろしたのだ。それが『クレイジー・フォー・ゴッド』という「露悪趣味的」な回想録の非常にユニークな後半部分を成している。

息子が到達した現在の境地は、次のようなものである。人間が神学的に世界観的に思想的に感情的に完全に矛盾無く首尾一貫していることなど、そもそも不可能である。そうして、神学的に思想的に完全に首尾一貫した政策を適用できるほど、現実の世界は単純なものではない。人間の内的世界も、人間の外的世界も、一枚のレッテルを貼ることで「見事に片付ける」などということは、不可能である。

こうして息子は、自分の分裂した内的世界と、その原像となっているのであろう、父の分裂した内的世界とを、「愛しい記憶」として、あるがままに受け容れようとするのだ。すなわち、分裂している多様な自己を「身体性」と「思い出」において統合して、生きて行こうとするのである。一緒に山に登った父。早朝の急斜面を一緒にスキーですべった父。避暑地のレストランで食前の祈りをせず共に食事をした父。美術館めぐりで一緒に興奮して絵に見入った父。そこには、まごうことなき、ほんものの父が、息子に愛情を注ぐ、人格的に統合された存在として、確かに生きていたのである。 登録日 : 2009年02月14日 13:36:56


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