北回帰線 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1969年2月3日発売)
3.37
  • (18)
  • (14)
  • (65)
  • (5)
  • (3)
本棚登録 : 683
感想 : 38
5

大文字のLIFE。まさに生活と呼ばれうるもの全てが詰め込まれている。
野蛮なるリリシズム。
「そして、この書でわれわれにあたえられるものこそは血であり、肉である。飲み、食い、欲情し、情熱し、好奇する、それらは、われわれの最高の、もっとも隠微なる創造の根をつちかう単純な真実である」、とアナイス・ニンが書くように決して「誤れる原始主義」ではない人間中心主義。
うーん♡ルネッサンス!

「ぼくは諸君のために歌おうとしている。すこしは調子がはずれるかもしれないが、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣きごとを言っているひまに、ぼくは歌う。諸君のきたならしい死骸の上で踊ってやる」

「ぼくのヴィラ・ボルゲエゼでの生活は、もうお終いになったようだ。よろしい、ぼくはこの原稿を手にしてどこかへ移ろう。どこへ行ったって物事は起こる。物事は絶えず起こっているのだ。ぼくの行くところには、どこでも、かならずドラマがあるらしい。ひとびとは虱に似ている――彼らはおれの皮膚の下へもぐりこんで、そこに身をかくしてしまう。血が出るまで掻きつづけるが、痒みが消える気づかいはない。どこへ行っても、ひとびとは生活の糧をつくっている。誰もがみな各自の悲劇をもっている。いま、それは血の中にある――不幸、倦怠、悲哀、自殺。あたりの空気は災厄と挫折と徒労とに色濃く染まっている。掻いて、掻いて、掻きむしって――皮膚がなくなるまで引っかく。だが、それがぼくにあたえる効果はすばらしい。落胆したり憂鬱になったりする代りに、ぼくはそれを享楽する。ぼくは、もっと、もっと多くの災厄を、もっと大きな災難を、もっと壮烈な失敗を、大声をあげて求めている。ぼくは全世界が狂ってしまえばいい、と願う。すべての人々が、からだを引っかいて死んでしまえばいい、と願う」

「情熱的に抱擁する――無数の眼、鼻、指、脚、酒壜、窓、財布、コーヒー皿が、ぼくたちを睨み付けているなかで、ぼくたちは、たがいの腕のなかで恍惚としていた。ぼくが彼女の側に腰をおろすと彼女はしゃべりだした――どっと溢れでることばの洪水だ。ヒステリーと倒錯症と癩病の狂暴な消耗性の徴候。ぼくは一言もきいていなかった。彼女は美しく、ぼくは彼女を愛し、そしていまぼくは幸福で死んでもいいと思っていたからだ」

「世界は腐りつつある。ばらばらに死にかけている。だが、この世界には、とどめの一撃が必要なのだ。木っ端みじんに吹き飛ばすことが必要なのだ。ぼくたちのうちの誰ひとり完全なものはいない。しかし、それでもぼくたちは、ぼくたちの内部に、諸大陸と、諸大陸のあいだの海と、空の鳥とをもっている。ぼくたちは、それを書こうとしているのだ――すでに死んではいるが、まだ埋葬はされていないところの、この世界の進化を。ぼくたちは時間の表面を泳いでいる。ほかの連中は、みな溺れてしまったか、溺れつつあるか、あるいはこれから溺れるだろう」

「何ものも彼女の魂のなかに食いこむものはない。何ものも呵責とはならない。倦怠! 彼女の感じる最悪のものといえば、せいぜいこれだ。たしかに、ぼくたちのいう満腹した日々はあったであろう。だが、それ以上のことはなかったのだ! 多くの場合たいがい彼女はそれを楽しんでいた――あるいは楽しんでいるという錯覚をあたえた。もちろん誰と一緒に寝たかということ――あるいは誰と満足したかということによって差別はある。しかし、かんじんなことは『男』だ。男! 彼女が切望するものは、それだった。彼女をくすぐり、彼女を恍惚にもだえさせることのできるもの、彼女の薔薇の茂みを両手でつかみ、うれしそうに、誇らしげに、いばって、結合の感じ、生命の感じを味わいながら、こすらせることのできるものを股のあいだに持っている男」

「シャンゼリゼエを歩きながら自分のまったくすばらしい健康のことを考えつづけた。ぼくが『健康』と言うとき、じつはそれはオプティミズムを意味する。いやしがたいほど楽天的なのだ! ぼくは、まだ十九世紀に片足をつっこんでいるのである。ぼくは、大多数のアメリカ人のように、いささか遅れているのだ。カールは、この楽天主義を嫌悪する。『おれが食事の話をしさえすれば』 と彼は言う。『かならずおまえはうれしそうに、にこにこしやがる!』 たしかにその通りだ。食事のことだけを考える――つぎの食事のこと――それだけで、ぼくは若返るのだ。食事!それは何事かが進行することを意味する――数時間みっちり働くこと、場合によっては一つの創造を意味する。それは否定しはしない。ぼくには健康がある。りっぱな、たくましい、動物的な健康がある。ぼくと未来のあいだに介在するただ一つのものは食事だ。つぎの食事だ」

「とにかく、何事も当てにすべきではないという認識は、ぼくにはありがたい効果があった。幾週間となく、幾月間となく、幾年間となく、いや事実、今日までの一生、ぼくは、何事かが起るのを、ぼくの人生を一変してくれるような外在的事件が起るのを、期待してきた。ところが、いま平然として、あらゆることの絶対の絶望に目ざめて、ぼくは、ほっと救われた思いがした。肩から、どえらい重荷がとりのけられたように感じた。夜明けにぼくは、ちょうど部屋代程度の数フランをせびってから、インド青年と別れた。モンパルナスに向って歩きながら、ぼくは、潮のまにまに身をまかせよう、それがどんな形をとってあらわれてこようと絶対に運命に抵抗しまい、と肚をきめた。今日まで、ぼくの身に起こったことは、一つとして、ぼくを破壊するほどのものではなかった。ぼくの幻影以外、なにものも破壊されはしなかった。このおれは無傷だった。世界は無傷だった。明日にでも、革命か、疫病か、地震かが起るかもしれない。明日にでも、同情を、救いを、誠実を求めうる人間は、ただ一人も残らないかもしれない。すでにして大災害が姿をあらわしているかに思える。いまこの瞬間ほど、おれが本当に孤独だということはありえないだろう。もう、何ものにもすがるまい、とぼくは決心した。何ものも当てにはしまい。今後おれは動物として、猛獣として、浮浪者として、掠奪者として生きてゆこう」

「いわゆる人間の本性のよりよき部分によって、人間は裏切られてきたのである。それだけのことだ。精神的存在のぎりぎりの限界までくると、人間は、再び野蛮人のごとく裸にされた自己を発見する。人間が神を見いだすとき、いわば彼は、きれいさっぱりとむしりとられたのだ。骸骨だけになったのだ。もう一度肉をつけるために彼は人生にもぐりこまなければならない。言葉は肉とならなければならない。かくて霊魂は渇望する。どんな屑でも、おれの眼にとまれば、おれはとびこんで行って、それをむさぼり食う。生きることが至高のものなら、たとえ人食い人種になろうと、おれは生きる。これまで、おれは自分の貴重な皮を貯えておこうとつとめてきた。骨をかくしているわずかばかりの肉を保存しておこうとつとめてきた。そのことに、いまはまいっている。おれは忍耐の極限に達してしまったのだ。壁に押しつめられているのだ。もう一歩も退けない。歴史が進行するかぎり、おれは死んでいる。もし向こう側に何かあるなら、おれは、はねかえさなければならない。おれは神を見いだした。しかし、それでは足りないのである。おれは精神的に死んでいるだけだ。肉体的に生きているのだ。道徳的には自由だ」

「『おれはエゴイストではあるが、利己的じゃない。これは区別すべきだね
。おれは神経病患者なのかもしれないね。自分自身について考えることをやめれないのだ。だからといって、自分をそれほど大した人間だと思っているわけじゃない……単に他のことが考えられないだけだ。それだけのことだよ。多少でも救いになってくれそうな女と恋愛できるといいんだが。しかし、おれに興味をもつ女なんて見つからないしね。おれは支離滅裂なんだ。それはきみにもわかるだろう。わからないかね。どうしたらいいと、きみは思うかね。きみが、おれの立場にあったら、どうするかね』」

「『なんだか精神的になる……女のやつが、愛だの何だのと、例のくだらぬことをならべはじめるまではな。女というやつは、どいつもこいつも、何だってああやたらと愛についてしゃべるのかね。きみにはわかるかい? 女というやつは、抱かれていい気持にさせてもらうだけでは足りないらしいな……人の魂までほしがるのだ……』」

「完全な免疫の状態、魔力にかけられた存在、猛毒のバチルスの真っ只中における生命の絶対保障を想像してみたまえ。何ものもぼくの心を動かさなかった。地震も、爆発も、暴動も、飢饉も、衝突も、戦争も、革命も。ぼくは、あらゆる病気、災厄、悲哀、悲惨に対して予防接種をされていた。それこそ安全堅固な人生の極点である」

「希望のない世の中、だが絶望ではない。それは言ってみれば、ぼくが新しい宗教に改宗したみたいでもあり、夜ごと慰めの聖母に対して定期的な九日間の勤行をやっているみたいでもある。たとえぼくが新聞の編集長、あるいは合衆国の大統領になったところで、どういう得があるものか見当もつかない。ぼくは袋小路にはいりこんでおり、しかもそれは小ぢんまりとして、なかなか居心地がいいのだ。一枚の原稿を手に周囲の音楽に耳を傾ける。低い、ねむたげな人声、植字機の金属的音響、それはまるで、おびただしい銀の手枷が搾取者の手をすりぬけてゆくかのようだ。ときおり鼠がこそこそと足もとを走りぬけたり、油虫が眼の前の壁を細い脚で敏捷に用心深く這いおりてきたりする。一日の出来事が、鼻先を、静かに、つつましやかにすべってゆく」

「彼女は行ってしまった。おそらく永久に去ってしまったのだ、とさとると大きな空虚がぽかりと口をあけ、自分が深い真っ暗な空間へとぐんぐんと落下し、落下し、落下してゆくのを感じた。これは涙よりも始末がわるかった。悔いや苦痛や悲しみよりも深刻であった。それはサタンが飛び込んだ深淵だ。這いあがる道はなかった。一条の光線もなく、人声もなく人の手にふれることもないのだ」

「だが、実際にきわめて恐ろしいことは、まだすこしもぼくには起っていなかった。人は友人がなくても生きてゆける。恋愛がなくても、必要不可欠とされている金すらなくても生きてゆけるように。人はパリで生きてゆける――それをぼくは発見したのだ! ――ただ悲哀と苦悩だけを食ってでも。つらい滋養物だ――おそらく、ある人々にとっては最善のものだろうが。ともあれ、ぼくはまだ進退きわまってはいなかった。ただ悲惨に甘えていたにすぎない。他人の生活をのぞきこむだけの、それからまた、それが書物の二枚の表紙のあいだにつつまれているときには、甘美なほど遠く、かつ作者がさだかでなく思われるロマンスの残骸を(それがいかに病的であろうとも)もてあそぶだけのひまと感傷とがあった」

「街々には、このような残酷さが奥深くひそんでいる。それが、あたりの壁から、こちらをうかがっており、われわれをおびえさせる。そんなとき突如として名づけようもない恐怖に感応する。突如としてわれわれの魂は不気味な恐慌におそわれる。街灯が、ぞっとするように曲がりくねるのも、そのせいだ」

「すべての壁のあるところには、癌の接近を先導する美しい毒蟹を描いたポスターが貼ってある。どこへ行こうと、何にふれようと、癌と黴毒があるのだ。それは空にも書かれている。それは不吉な前兆のように燃えくるめいている。それは、われわれの魂のなかに食いこみ、いまやわれわれは月のごとき死物以外の何ものでもない」

「愛情、憎悪、絶望、憐憫、憤怒、嫌悪――遊星の姦淫の真っ只中にあって、それらはいったい何なのか? 夜が無数の燃えくるめく太陽の恍惚感を提供するとき、戦争、疾病、残虐、恐怖とはいったい何か? われわれが眠りながら噛むこの実体なきものは、それが毒牙の螺旋や星雲の記憶でないとするなら、いったい何なのか? 」

「何でもしろ。だが、それは歓喜を生みだすものにかぎるぞ。そうひとりごとを言うと、数知れぬ群衆が、ぼくの頭にとびこんできた。イメージだ。陽気なやつ、恐ろしいやつ、気の狂ったやつ。狼や山羊、蜘蛛、蟹、翼をひろげた黴毒、いつも錠をかけ、そしていつも墓場のように開くばかりになっている子宮の入口。肉欲、罪、神聖。おれの愛する奴らの生命、おれの愛する奴らの失敗。奴らが残していった言葉、奴らが終りまで言わなかった言葉。奴らが背後に引きずっていた善、悪、悲しみ、不一致、怨恨、奴らがかもしだした闘争。だが、何にもまして歓喜だ!」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: アメリカ
感想投稿日 : 2012年6月3日
読了日 : 2012年6月3日
本棚登録日 : 2012年6月3日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする