「全体主義」への関心から、読んでみる。(最近、アーレントを読んでいるのは、もともと「全体主義」への関心が根っこにあったからで、逆ではなかった。今は、逆転しているかもしれないが。。。)
全10巻あるトーマス・マンの日記(約20年分)が、30年かけて翻訳されるのにあわせて、出版元の季刊誌に書かれたエッセイを集めたもの。(マンの日記が翻訳されているのはなんとなく知っていたけど、30年もコツコツと翻訳し、出版するという努力がなされていたことに驚く)
タイトルで言われるほど、「マン対ナチス」という本ではない。マンの日記を大まかな年代に分けつつも、時系列に沿って記述するのではなく、そこから浮かび上がるテーマをひろって書かれたエッセイからなる。
とはいって、マンの日記のスタートは、1933年ナチスが政権を取ってからなので、サブタイトルにあるように政治的な要素を含む「亡命日記」という感じ。
ナチスや世界の戦争の中でのマンの言動とその背景が伝わってくると同時に、亡命者として、他の亡命者やナチ側について知識人への批判などが、面白いかな?(いろいろあるけど、やっぱり本業は小説家ということか)
アーレントとの関係では、アーレントも1933年に亡命して、アメリカにたどり着き、同じ時代に同じ国にいるわけだが、一方は世界的な大文豪、一方は無名のユダヤ人。
戦後、マッカーシズムが吹き荒れるアメリカにおいて「反共」という名の下に、ナチズムと同じような状況が生じるなかで、マンは再び亡命して、スイスに移住するのに対して、アーレントはアメリカの可能性を信じて、アメリカに踏みとどまり、市民権をえる。1951年、「全体主義の起源」を発表することを通じて、プチ有名人となる。収容所の経験もある亡命ユダヤ人で、反ナチズム、反共産主義の騎手みたいな受けとめだったのかな?
あらためて考えると、「全体主義の起源」って、マッカーシズムの最中に出版されていたんだね。スターリンとヒトラーを合わせて「全体主義」として批判したので、当時の風潮からヒットしたということか?内容的には、相当に難解なので、ちゃんと読んだ人がいるとは思えない。マルクスや共産主義への強い批判はあるものの、歴史認識としては、マルクスに影響されているところも大きい。単純に反マルクスではない感じがする。この辺の微妙な影響関係が難解で当時は誰もわからなかったので、アーレントって、有名になれたんだと思う。
というわけで、この2人の世界は重なりそうで、重ならない。
大戦中のアメリカの亡命者社会みたいなものも面白いテーマかもしれない。
個人的にちょっと切実感を持ったのは、マンが亡命に追い込まれるのは、1933年で、58歳のとき。すでに有名作家とはいえ、そこから、さらに「ヨセフとその兄弟たち」「ファウストゥス博士」など大作を書き上げていく。そのかたわら、膨大な時事的な評論や反ナチの活動、そして講演活動、社交活動をやって、さらに全10巻の本になる日記を書いている。
私もそんな年齢で、このエネルギーにちょっと圧倒される。
- 感想投稿日 : 2017年8月23日
- 読了日 : 2017年8月23日
- 本棚登録日 : 2017年8月23日
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