反哲学入門

著者 :
  • 新潮社 (2007年12月1日発売)
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本書は、同郷である木田元先生が書かれた著書である。私は、御存知の通り大学を出ていないため、哲学に対する予備知識は持ち合わせておらず、この著書の前にカントの「純粋理性批判」入門ぐらいしか読んでおらず、哲学者って何を考えているのか分からないという感じではあった。

ところが、この木田先生の著書では、ソクラテスからハイデガーまでを230p足らずで一足飛びに説明を掛けてくるのである。芦田先生(@HironaoAshida)からは木田先生はハイデガーを分かっていないとか言われそうですけど、、、(苦笑)

哲学書は原書を読めとよく哲学TL上では語られている理由が良くわかります。なぜかと言うと、この類の要約本では、その原著で使われる単語をそのまま意訳してしまい、本来の意味から逸脱してしまうからです。つまり、英語もまともに話せもしない教師が、間違った解釈で中学生に教えるものだから、大人になっても英語を話せない大人が腐るほどいる状態と同じなわけですね。こんなのが、木田先生も書いていましたが数十年間も続くいていたとあります。

カントにしても、ア・プリオリが先天的に得たもので、理性的にそれを語ることはできないのかはわかりませんけれども、少なくとも、芦田先生が仰る通り、女性ならば絶対と言っていいほどこの問題には悩まないでしょう。

なぜならば、この哲学の根本論は「何故自分たちはいまここに存在し、そして、めのまえにあるものはあるのだろうか?」という微分の最果てを見ているからだと思いました。女性からすれば、そんな微分の最果てなどどうでも良いことなのです。それよりも、私はいまここにいて、次にスべきことはこれなのよ、何あなたはぐずぐずしているの!となるわけです。

カントが生涯独身だったのも理解できますし、プラトンが政治に介入して失敗したのも頷けます。彼等には未来が無い。ご飯をどのように食べればよいかをしらないからです。

そもそも論として、哲学とは間違った当て字であって、本来は超自然学とすべきだというのは、理解できました。形而上学という小難しい言い方も、もっとシンプルにできたはずだというのです。日本人の矜持にマッチしたんでしょうね。

ただ、西洋人の感性以外でこのフィロソフィーというものを理解するのは大変かもしれない、それは読んでいて確かに感じました。簡単に言うと、私の中に流れる儒教的な仏教的な教えが哲学を半ば否定というか、それを超越してしまっているわけですから、東洋人には特に哲学は理解し難いのだと思います。

古代ギリシアの歴史から脈々と受け継がれてきた哲学という学問に終りは無く、永遠をさまようわけですが、銀河ヒッチハイクガイドの様に42という答えが出せれば良いのですけれどね。

ただ、どの学問を見ても、全ては歴史の上に立っていて、人の営みをなくして学問もまた成り立たないと言うことが分かります。ですから、経済学にしてもあくまで人の積みあげたロールモデルの一つであり、答えではないというベストプラクティス論を常に持ち続けることが、重要なのでしょうね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: NomadNewsBase
感想投稿日 : 2010年5月6日
読了日 : 2010年5月6日
本棚登録日 : 2010年5月6日

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