太平洋戦争 下 (中公新書 90)

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  • 中央公論新社 (1966年1月25日発売)
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太平洋戦争はかくして三年八ヶ月で250万人の日本人犠牲者を出して, 原爆投下後八月十五日に日本の全面降伏によって幕を閉じた.
日本が二度と植民地政策などを足がかりに軍事的な脅威とならないことが戦勝国の合意となった.
全面降伏を避けるため, ロシアを通しての外交を通しての条件降伏が打診されていたものの, 結局, 戦争終結のふんぎりがつかなかった....らしい.
これは, もちろん, 当時の政治的状況もあるんだろうが( 戦争後半には東条首相から二人も首相が変わっている), 根本的には, 日本の戦争観が" 戦地あるところに一勝
を求める" ものであるため, 冷静な状況分析が十分にできなかったからである.
以下, 本文からの抜粋である.
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日本を支えてきたのは, 戦争側戦闘, 戦争即兵士の戦い, という戦争観だった. 開戦そのものも, 単純に戦闘の勝利を見込んで決定された. 真珠湾攻撃から, ミッドウェー, 比島沖海戦, そして沖縄特攻攻撃まで, 海軍がつねに輸送船や施設攻撃をにの
つぎにし, "艦隊決戦" を求めつづけたのも, この"戦術的戦争観" にもとづいている. 陸軍もまた, 戦闘に一勝をあげることをもって戦争をと考えてきた. その結果は, 決戦を呼号しながらも, いつもその後の一勝を期待して後退をつづけ, いまや文字どおり" 絶対" 国防圏たる本土を残すのみとなった.
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抜粋終わり

サイパン島の決戦から沖縄本島決戦まで, 市民を巻き込んでの激しい戦闘になって
も, 参謀本部が条件降伏の道を早急に求めなかったのはこのような戦争観が支配していたからである.
個々の戦闘を見ていくと, 中将や少将などの司令官の個性が戦いに表れることもあるが, 勝敗を分けるのは個人の素質ではなくて, 組織的な指導力である.
日本は組織として, 合理的な判断に基づいて戦争の有意性を測ることができなかった. 精神力だけでは戦争はできないってことである.
勝ち目がないなら途中でやめればいいものを, それも決戦精神があるから出来なか
った.....結局は国民にも自決を強いたわけで, その象徴的なものが神風特攻隊である. でも, 全体的にみれば特攻隊も特に目新しいわけではなかったのだ. 各地の戦闘では同じような精神で兵士や一般市民が自決してたわけだから....
米英の兵士は, 飢えても兵器がなくても立ち向かってくる日本兵士に恐怖したそうだが, 私は日本人の気概を誇る気分にはとてもなれません. むしろ哀れな姿だなと思う. そうやって戦ったのが私の爺ちゃんだったら悲しい.

本書は冷静な視点から, 抑揚を抑えて書いてはいるものの, サイパン島の決戦などは思わず涙が出た. 兵士数万人, 島民( 日本軍のために働いていた民間人, おそらく日本人以外もたくさんいたはず)一万人が犠牲になったのだが, 普通のお母さんが子供と一緒に崖から身を投げるところなど, とても泣かずにはいられない.

読みながら思ったのは, 戦争などの国家がかりの大事業は, 財政, 人員,技術が成功の決め手になるものの, 事業の目的達成のための思想も同じくらい重要であると思った.
太平洋戦争では, 組織として目的(植民地拡大による日本のアジアでの覇権確率)が
戦争をを続けることで達成困難になったにもかかわらず, 形骸化した目的のために無意味に突っ走ったのではないか. 日本文化には, そういう動きを止める力が弱いのではないか.
これは, 現在進行している原発産業の先行きなどを考える上でとても重要だと思う. 過去の歴史から学ぶというのは, 同じ失敗を繰り返さないためだ. 歴史に対して自虐的なのも尊大なのも意味がないと思った.

この本で終戦までいったので, 次は東京裁判である. 同じ筆者が東京裁判についても書いているので, ぜひ読んでみようと思う.

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2012年10月23日
読了日 : 2011年8月12日
本棚登録日 : 2012年10月23日

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