実際にレビューするまでは☆五つのつもりでしたが、幾ら福山さんの大ファンといえども、それとこれとは別という気がしまして―。
本当に深刻なテーマだと思います。
映画のラストは福山さんが前の息子(我が子と信じていたが、よその子だった)に
―もう、ミッションは終わりだ。
と宣言するところで終わります。
これはあくまでも私の考えにすぎませんが、この後、ふた組の親子は以前どおり、実子ではない息子と共に生きる、つまり元のサヤに戻る道を選択したのではないかと暗示させられるような気がします。
見終わった後、主人とこのテーマについて話し合いました。
主人は見ていませんが、私が簡単に内容を説明しました。主人が福山さんと同じ立場の父親になったとしたら?
応えは
―実子を引き取るだろうが、今まで他の環境で他人の子として育ってきた子を我が子として完全に受け容れることはできないだろうし、また今まで我が子として育ててきた子に対しても急に他人とは思えないだろう。
でも、他人の子だと判ってしまったら、もう育てることはできない。
女性と男性、つまり男と女では違うのでしょうか?
私は実は今までどおり、たとえ血が繋がらなくても、今まで育ててきた子を我が子として育てたいという結論でした。今まで育ててきた子を手放すなんて、私にはできそうもないですね。
もちろん、実際にその立場になった時には、またどうなるかは判りませんが。
本当に重たいテーマで、切断を迫られた当事者にとっては残酷なことです。
結局、子どもの取り違えを現実問題として考えた時、最も収まりの良い具合になるということは難しいのです。判りやすくいえば、子どもはむろん、その家族すべての人にとって理想的な解決方法など無いということです。
誰もが真実を知れば、一生消えないモヤモヤ―葛藤を抱えて生きなければならないでしょう。
一つだけ言えるとしたら、〝努力〟と〝意思の力〟でそれを乗り切るしかないし、もしかしたら月日がそれを幾ばくかは解決してくれる日が来るかもしれない。だけど、すべてを受け容れられる日が本当に来るのかどうかは判りません。
親たちが最終的な決断を下すその一歩手前で映画が終わったのは、そういう意味だと思います。どんな応えを選んでも、難しい道でしょう。
我が子が取り違えられていたと知る事件の発端から、真実を知り悩み抜き、何とか真実を受け容れようとする親の姿はリアルによく表現されていました。
しかし、結末として、どうすれば良いのかという点については不明瞭で、今一つでした。
この問題に正解などないことを考えれば、この終わり方が最高というか仕方ないのだと思えますが、やはり結末を今一つ描き切れていないということで、☆四つになりました。
- 感想投稿日 : 2015年5月27日
- 読了日 : 2015年5月27日
- 本棚登録日 : 2015年5月27日
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