すばらしき愚民社会 (新潮文庫 こ 39-1)

著者 :
  • 新潮社 (2007年1月1日発売)
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本棚登録 : 200
感想 : 30
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途中で止めたら負けのような気がして一応最後まで読んではみたが、一言で言うと、太古の昔から連綿と続く「今の若者はダメになった、昔の俺はもっとすごかった!」という、オッサンのベタな愚痴を本にしたものである。
今の若者は勉強しない、フェミニズムは悪であると断罪しながら、その根底には「女や若者」から立派な人生の先達としてちやほやされたいというスケベ心が見え隠れしているところが何とも痛々しくて、何だろうな、大人ってもっとかっこいい存在だと思っていたのにな、と一応まだ若者世代に入るはずの人間の一人として何だか残念でならない。
東大生が大学の図書館にハリー・ポッターをリクエストした、だから今の大学生は堕落した愚民であると小谷野は語る。
だがリクエストされる本の中の一冊がハリー・ポッターだったからといって、それが何だというのだろうか。
同じ税金を使うなら専攻の人間しか読まず、すぐに内容が古くなって廃棄しなければならなくなる専門書より沢山の人に長く読まれる本をリクエストした方が公益に利するという考えもあるのではないだろうか。
昔は大衆小説であった司馬遼太郎は今ではインテリの親父しか読まない純文学という扱いになっている、だから文学というものの質が下がった、だから今の若者は愚民であると主張されたとて、元々大衆小説とは時代が下ると純文学化するものではないのだろうか。
「源氏物語」だって「神曲」だって「こころ」だって発行された当時は大衆小説だったのが時が過ぎていくうちに気がついたら名作古典だの純文学だののカテゴリに入ってしまったわけで、そこを無視して文学の質が下がったと焦るのは早計のように思える。

何というか、これを読んでイヤァスッキリ! 小谷野さんはいいこと言ってるな! と思う人だけが読めば良い本である。
独断と偏見と、それでもなお自分を善人に見せたいスケベ心に満ちた本ではあるが、威勢がいいのは確かなので、そういう芸だと思って読めばそれなりに面白いかもしれない。
私の失策は真面目な社会批判を期待して読んだことであり、それについては私に100%の非があるのに違いない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 一般書
感想投稿日 : 2010年11月23日
読了日 : 2010年10月31日
本棚登録日 : 2010年10月31日

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