嘘を楽しむ詐欺師的な男性(向伊)の魅力や無気味さがもうひとつ伝わってこなかった。あるいは、ダマされていると思っている事柄すべてが、実は女性主人公(熊田)の勘違いなんじゃないだろうか?と思わせる視点にも比重をおいて向伊の「悪」を曖昧なものにしても良かったとも思ったりした。
しかし、あくまで熊田の一人称的で葛藤に満ち満ちた内界ストーリーで筋を通すならば、事実や意図についての自分の解釈そのものが疑われてしまうような「妄想的世界」にハマり込んでしまうことを著者は避けたかったのかもしれない。それでは精神のバランスが保つことができないのだろう。それならば、熊田自身の知覚に関しては緻密に描かれているのに反して、向伊の魅力や無気味さが伝わってこないかんじも「自閉的な世界」として納得できる。「男性を本気で好きになったことがない」という熊田の社会的認知的限界が、本谷の表現の枠組だとするならば。
本書でも本谷独特の人間の匂い(ex.二人の頭皮)や肌触りの表現が際立って印象的だ。女性である主人公の感覚が際立っているように。感覚と思考が洪水していき、そしてそれがある閾値を超えて制御不能となると、意識が変容することによってしかリセットできないというシーンも生々しい。みな病んでいる。その病みを、誰かに救われる類いのものではなく、克己されるべきものとして肯定してしまうエネルギーに感嘆させられる。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
文学
- 感想投稿日 : 2013年8月17日
- 読了日 : 2013年8月17日
- 本棚登録日 : 2013年8月16日
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