海外 / nowhere1984年1月1日生まれの男性

名前 魚に感謝
本棚の名前 misyobunの本棚
本棚の紹介文
性別 男性
都道府県 海外
ホームタウン nowhere
生年月日 1984年1月1日生まれ
ウェブサイト http://www.vagrantup.jp/

プロフィール

もし発汗[1]したい人がいるなら、どうぞお好きなようにしてくださいな。多分ぼくもします。てかする...こんにちはーおめでとーKenyon大学2005年度の卒業生のみなさん。2匹の若いサカナが泳いでおり、逆方向に泳ぐ年上のサカナに会いました。すれ違い様、年上のサカナはこう言いました。「おはよう少年たち。今日の水はどうかね。」2匹のサカナは特に気にもとめず、しばらく泳いでから、顔を見合わせて言いました。「てか水って何?」

今の話は、米国の卒業スピーチにおいて、一般的に不可欠とされている教訓いっぱいの寓話っぽい話です。この「教訓いっぱいの寓話を交えること」という条件は、米国の卒業スピーチにおいては、まあマシな方の条件です。ちなみに僕は、自分が年上の知恵のあるサカナで、君たちが若いサカナで、「水」とはなんなのかという説法をしに来たのではないです。心配しないでください。ぼくは年上の知恵のあるサカナではありません。サカナの話のポイントは、人生において、もっとも自明で大切な現実は、得てしてもっとも見えづらく考えにくいものだということ。文章にしてしまうと陳腐な表現ですが、社会人としての日々の生活の中では、この陳腐な表現が、生と死に関わるくらい重要になりえるってことを、この渇いた快晴の朝に、君たちに伝えたいのです。

モチロンこの類いのスピーチでは、ぼくは君たちが受けてきたリベラルアーツ教育の意味について語ることが必要で、要は何で君たちが受けた教育が、金銭的な利益を超えたところの、まことの価値を持つのか説明しなくてはなりません。ということで、リベラルアーツ教育の価値について話しましょうか。大体こういうスピーチで語られる、ありきたりな話の最たるものが、「リベラルアーツ教育の目的は、知識をためこむことではなく、『自分の頭で考えられるようになる』ことである」というやつです。もし君たちが大学生の時のぼくみたいだったら、この話はあまり好きではないと思います。この大学のような立派な大学に合格したということは、すでに自分の頭で考えられるということを立証していて、今さら「君たちが自分の頭で考えられるようにしてやった」と言われると、あたかも大学に来るまで自分の頭で考えられなかったみたいで、侮蔑的ですらあります。でもここで一つ提唱したいのは、この話は実は侮蔑的ではなくて、大学で得るべき真の教育というのは、「自分の頭で考えられるようになること」ではなく「考えるべき対象を選べるようになること」だからです。考える対象の選択の自由、そんなの当たり前で話すだけ時間の無駄だと思う人は、さっきのサカナと水の話を思い出し、少しの間だけ、この「自明」なことの価値に対する懐疑心を取り払ってもらえるとうれしいです。

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