中村文則が好きな同僚から勧められた。
と言っても、私も10冊くらいは既に読んでいて、好きか嫌いかというと、普通、という作家だった。
今まで読んだ中で一番好きなのは『何もかも憂鬱な夜に』。だから、この『悪意の手記』にも繋がる部分があって、とても良かった。
何より、「悪意の手記」を私たちが読めているという、メタ的だけど、そのことに最後の救いを感じている。
よく、ドキュメンタリーで人が口にする死を覚悟する、というのは瞬間的な言葉なのかもしれないと思った。
継続的に死を見つめようとすると、人は良くも悪くも「どうでもいい」にならなくては、耐えられないのだろうか。
古来、日本人は死を見つめてきたけれど、限りなく透明に「どうでもいい」という無私、無我を目指してきたことと、15歳の「私」が目指した世界との断絶は、同じではなくとも、紙一重と言えないか。
病気が治ったとしても、いつか死ぬことの宿命からは逃れられない。
けれど、彼はきっと生きることをもう一度見つめようとして、だからこそ苦しむことになったのだと、私は考える。
死を受け入れて死んでいくことより。
死を受け入れて生きていくことの、難しさ。
彼がKを喪って尚、Kに親友という冠詞を付け。
自分を心配してくれる周りに、ひたすら頭を下げ。
考え、考え、考え果てて。
そうして手記が尽きる。
救いのない結末だろうか、これは。
円環の物語ではないからこそ、胸に響いた。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
2017年
- 感想投稿日 : 2017年7月16日
- 読了日 : 2017年7月16日
- 本棚登録日 : 2017年7月16日
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