- Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093434362
作品紹介・あらすじ
ふたりで191歳の、ポジティブシンキング
明治44年(1911)山口生まれの日野原重明は、京都帝国大学医学部を卒業、昭和16年より昭和52年まで聖路加国際病院に勤務。昭和55年同病院理事に。平成4年から平成8年まで同病院院長。平成13年に出した『生きかた上手』がベストセラーほか、数々の出版物を手がける。また『葉っぱのフレディ』を音楽劇に脚色するなど、多彩に活躍を続ける。現在99歳。
一方、大正7年(1918)東京生まれの堀文子は、女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科日本画部卒業、戦後焼け野原だった青山にアトリエを構え、創作活動をしながら世界を放浪。大磯に移住後、軽井沢にもアトリエを持ち、自然や生命への神秘を作品にする。70歳でイタリアのトスカーナへ移住、その後もアマゾンやペルー、ヒマラヤなど、取材旅行を続け新しい作品を創作している。現在92歳。
このふたりが「芸術」、「人との関わり」、「命の尊さ」などを語る対談の中に、それぞれが日頃思っている「心の声」を挿入しながら構成する。口絵には堀の50年前の作品から最新作まで約10点を入れる。
【編集担当からのおすすめ情報】
日野原先生、堀先生ともにとにかく好奇心が旺盛。日野原先生は昨年7月から9月わずか2か月の間にニューヨーク、南ドイツ、イスラエルと飛び回り、今年1月にはハワイにも出かけています。堀先生も脳のニューロンから、深海のオオカミウオ、ヒマラヤを越える鶴まで様々な作品を描き続けながら、新たな画風に挑戦し続けている。この先も、目が離せないふたりです。
感想・レビュー・書評
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39歳でアメリカへ留学。第二の青春を過ごす。
バブルの時、土地の値段が上がっているだけなのにマスコミは経済大国という。こんな品位を失った日本で死ぬのは嫌だと思いイタリアへ。
ネパールに山の名前はない。名前があるのは西洋人が征服した山だけ。
シャボン玉の歌は子供の命を象徴。消えないように風風吹くなと祈る。
オリーブオイルをスプーン一杯。血管が柔らかくなる。 -
1918年生まれの堀文子さん(日本画家)、「画家は長命」、ご多聞に漏れずですね。「医者の不養生」という言葉もありますが、1911年生まれの日野原重明さん(聖路加病院院長)には無縁の言葉でしょう(^-^) おふたりの「人生、90歳からが面白い」、ビッグな対談集(2011.4)です。昨秋(2015.10)続版とも言えそうな「100歳が聞く100歳の話」という本も新しく刊行されてますので、この本も是非読みたいと思っています!歳とともに、自然に対する感受性が鋭くなる・・・、私も最近そんな感じがしてきました。
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三葛館一般 914.6||HI
日野原重明先生と、日本画家の堀文子さんの対談をまとめた本書。
一読すると、日野原先生の多彩な才能や飾らない人柄、堀さんが持つ品性や研ぎ澄まされた感性を感じることができ、そんなお二人の言葉には、様々な苦難を乗り越え生き抜いてきたからこそ語ることができる、深い叡智が秘められているように感じられます。
また、長い人生を生きるうえでなにが大切かも随所に記されています。
(かき)
和医大図書館ではココ → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=61358 -
心に残った言葉
・ 人はみなそれぞれの幼児期の記憶を探し求めながら、この世を生きて いるのかもしれません。(堀)
・ 忘れ去った名もない日々が、私という一本の老木を養ってくれた大地 だったように思います。(堀)
・ 知識も説明もいらず、美は時空を超えて感応する者の魂を揺さぶる
電流のようなものです。(堀)
・ さまざまな国を旅して、「風景は思想だ」と私は確信した。風景は自然
を取捨選択し、その国の人々が作り上げた作品なのだ。(堀)
・ 森の中で暮らした私は、生きては滅びる命の流転を淡々と受け入れ、
貪らず奢らず命を全うする草木を見つめ、生きるものの心得をどれほ ど学んだことだろうか。
・ 人の一生は毎日が初体験で、喜びも嘆きも時の流れに消え、同じ日は 戻らず、同じ自分もいない。(堀)
・ かつて世界の人の心を打った日本人の礼節とつつしみ深い品性は、
今はもうない。(堀)
・ 私が確かに生きている今日。全身全霊を傾けて、考え、嘆き、感動す ることのできるのが今という時間なのです。
・ 生きものの形をまるごと見せず、ひと口ずつの切り身として美しく仕上 げ、色や形や香りや旬にも心をくばり、とりどりの食器にも美意識を
込めた日本の食事。同時に、食べやすさを大切にした食べ物が、日本 人の命と繊細な心を養ってきたと思う。(堀)
・ 夏の緑。秋の尾花、芒ヶ原。冬野の枯れ尾花。芒の一生に私たちは
生死の流転の姿を見てきました。生のときにも死の姿にまでも、
その美しさを讃えたかつての日本人の、成熟した美感の深さを思わず にはいられません。(堀)
・ 無心に生きるのには幸せも不幸せもない。(堀)
・ 子どもたちの豊かな才能を引き出すことを使命だと思っている。(日野 原)
・ 若い頃は似ていなかった私の顔が、いつの間にか晩年の葉はの風貌 に変わっていた。母から受けた遺伝子の設計図には、私の老年の姿 形まで描きこまれていたのだろうか。親子をつなぐ命の仕組みに愕然 とした。(堀)
・ 豊かな人生に、友人は欠くことができない。(日野原)
・ 花は生きものだ。光を求め呼吸し、花びらの毛細血管に命が流れ、静 かに動いている。(堀)
・ 執着から解き放たれた老いには、苦しみも、惨めさもないことを知りま した。(堀)
自分にとって、一生を、命をかけらられるもの、それは何なのか、そんなことを問い続けながら、一気に読了した。