狡噛がなぜ標本事件にそんなにも執着するのか、ようやく少し理解できた気がする。逆に言えば本書を読まないと佐々山の人となりや魅力は全くわからなかったので、「愛すべきクソ野郎」の意味がやっとわかって嬉しい。あのピンボケした「マキシマ」の写真は瞳子が撮ったものだったとは。よくうまく繋げたなと思う。
本書は佐々山の物語であると同時に、監視官だった頃の狡噛の物語でもある。狡噛が槙島に対して抱いた感情、桜霜学園の捜査でようやくその尻尾をつかんだときの気持ち。ノナタワーで対峙したときの「お前は槙島聖護だ」に込めた思い。「もう二度とごめんだね」という台詞が本心からきたものだということ。佐々山に対する贖罪と復讐心で心底疲れていたのだろう。この執着の由来もようやく理解した。
狡噛は佐々山をパラライザーで撃つことができなかったと悔やんでいた。本編1話で朱がパラライザーで狡噛を撃ったことに対して、全く機嫌を損ねずに、むしろ感心したように対応していたのはこのことがあったからなのかと思った。また、「執行官に謝る監視官は珍しい」という台詞は佐々山が狡噛に対して発したものだったり、「執行官とうまくやっていける」という台詞は狡噛が宜野座に対して発したものだったりと、監視官狡噛と執行官佐々山の関係性が後の監視官朱と執行官狡噛に対比されているように感じた。そして宜野座の中間管理職的な苦悩はこの頃からだったのか、という妙な納得も。
文章がこなれていない印象を受ける点、細部の誤植や文字表記不統一が気になったものの、ストーリーそのものは名作。本編しか観ていない人はおそらく、狡噛の執着も、佐々山の魅力も、理解できないという人が多いのではないか。本書の内容も本編に入れ込んで欲しかった。
- 感想投稿日 : 2013年4月14日
- 読了日 : 2013年4月14日
- 本棚登録日 : 2013年4月3日
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