海国記〈下〉 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2007年12月21日発売)
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(2012.09.14読了)(2012.07.24購入)
【9月のテーマ・[平清盛を読む]その②】
忠盛から清盛へ、保元の乱、平治の乱、清盛の天下、源平合戦、鎌倉幕府、北条政権、と歴史は進んでゆくのですが、作者にとっては、歴史の主流にはさほど関心がないようです。
物流の要をだれが握っているのか、福岡から京都への物の流れで、だれが多くの財をわがものとすることができたのか、というところに主眼があるようです。
清盛については、わがまま放題勝手放題、平氏の繁栄さえ考えていないかのような書きぶりです。こんな平清盛は読みたくなかった、という気持ちです。
最後の第五章は、源頼朝後の、西園寺公経について書かれています。鎌倉幕府は、西日本の物流に興味を示さなかったので、西園寺公経がその要を握ったという事のようです。
堺屋太一さんに書かせたら、もっとわかりやすく面白く書いてくれたテーマかもしれません。残念です。

●源為義(74頁)
奥州十二年の合戦に携わり、陸奥守に任じられた源頼義を曾祖父に、源義家を祖父に持つことから、陸奥守の座を望んだが、許されていない。
●保元の乱後(94頁)
合戦で八面六臂、奮戦したにも関わらず、源義朝が得た任官は右馬権頭にすぎない。
源義朝は、報いの薄さに不満を募らせていると聞いている。
しかし、清盛はそうは思っていない。
敵の要である上皇や左府を見逃し、数日にわたって落ち延びさせたのは、北を固めていた源氏の輩の失点である。清盛の側に落ちていたなら、上皇は丁重に保護し奉り、頼長は討つところであった。
●誤植(185頁4行目)
自分も(御)白河法皇の御為にその首尾を・・・
⇒自分も(後)白河法皇の御為にその首尾を・・・
(新潮社の出版物で誤植を見つけたのは、初めてです。小さい出版社のものでは割とありますが。)
●『太平御覧』(270頁)
『太平御覧』は天地の博物、森羅万象を類別し、典故事縁を雑多に並べたもの、系統だてて学ぶものではあるまい。ことに応じて参照するのがよろしかろう……
●平一門の分裂(304頁)
平一門の中でただ一人、頼盛だけが右衛門督の職を解かれた。その上、池殿周囲には宗盛の兵が詰めている。すわ一門分裂の合戦かと、人が見るのも無理はない。
「奴ばらが、八条院の莫大な所領を頼りに、わしに背くと申すものがあってのう」
●財の占有(310頁)
中宮は娘(徳子)。皇太子は孫(安徳)。関白は婿殿。
いかに申し開きをしようとも、巷の目には、血縁をよいことに、平一門のみが財を占有しているようにしか映らないであろう。
●建造こそが懐を富ませる(376頁)
頼盛は気づいた。入道大相国は、信西入道の手跡をなぞろうとしているのであった。
思い返せば、保元の乱で、信西入道は白河の院御所に火をかけている。焼き討ちという方針に周囲は驚いたが、信西入道は動じなかった。再び院御所を建て奉ることが、受領の繁栄に繋がると見抜いていた。
●頼朝の扱い(402頁)
国をほぼ平定した頼朝を畏まらせ、〝頼朝は久しく遠国に住し、未だ公務の仔細を知りませぬ。たとえ仔細を知るといえども、まったくその任(原文では〝仁〟ですが、誤植ではないでしょうか)にあらず〟との言質をとったのは、やはり法皇、および女院のお力を背景にした丹後局の手ぎわである。

☆関連図書(既読)
「清盛」三田誠広著、集英社、2000.12.20
「海国記(上)」服部真澄著、新潮文庫、2008.01.01
「平清盛-「武家の世」を切り開いた政治家-」上杉和彦著、山川出版社、2011.05.20
「平清盛 1」藤本有紀原作・青木邦子著、NHK出版、2011.11.25
「平清盛 2」藤本有紀原作・青木邦子著、NHK出版、2012.03.30
「西行」高橋英夫著、岩波新書、1993.04.20
(2012年9月17日・記)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 平清盛とその周辺
感想投稿日 : 2012年9月17日
読了日 : 2012年9月14日
本棚登録日 : 2012年9月12日

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