ゆっくり、じっくり読んでいる。読み終わるのが惜しい。「富士日記」読み終える前の「もう楽しみが無くなってしまうのか…」を思い出す。野見山暁治さんや高峰秀子さんのエッセーもそんなだが、日常生活に対する純粋無垢の感覚と言語表現に驚く。「上手」と思わせるようなら未だ未だと教えてくれるす凄さだ。 ※読書カテゴリーに、野見山さんと高峰さんの記事有ります。
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『琵琶』『牛乳』『キャラメル』『お弁当』と続き、題名も「~の食卓」だから、食べ物エッセーと思って読み始める。池波正太郎さんのエッセーみたいなのかと思ったら違った。食物が題名だが料理なんか出てこない。普通の食い物なわけで、子供はこんなふうに味を感じていて、それを武田さんはこんな言葉で表すのかと感嘆する。こういうのは夢に近い。幸せな夢見ている時はたいていこんな感じだ。飛ぶ夢の時も、秘密の入り口見つけた時も。立男はこんな感覚のエッセ-が好きだ。内田百けんさんのエッセーが好きなのもそのせいだ。エッセーの醍醐味はここらにあると立男は断言する。
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昨日『お弁当』まで読み、今日から『雛祭りの頃』。もう90頁(全143頁)しか残ってない。「富士日記」は人に読ませる予定もなく、ちゃちな分別を蹴飛ばす日記だが、このエッセーはそれを濃縮している。時間をかけて煮詰めるとこんな絶妙な味わいがうまれるのだ。その分、読み終わるのが前よりも惜しくて堪らない。「この夢、覚めませんように」と思って夢を楽しむことがある。読書途中の今、そんな感じ。
- 感想投稿日 : 2015年12月30日
- 読了日 : 2015年11月11日
- 本棚登録日 : 2015年12月30日
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