琉球の時代: 大いなる歴史像を求めて (ちくま学芸文庫 タ 39-1)

著者 :
  • 筑摩書房 (2012年3月1日発売)
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感想 : 3
5

2013/12/3読了。
池上永一の『トロイメライ』を読んだ勢いで、積読から引っ張り出して読了。琉球史のパンフレットやグスクの写真集みたいなものは旅行前の予習で読んだことがあったけど、詳しい通史の本は初めて。
面白かった。日本史でも世界史でも習わない、既に滅んだ王国の歴史。まるで未知のハイ・ファンタジーのダイジェストか設定集を読んでいるようだった。いや歴史をファンタジーに例えるのは話が逆かもしれないが。
神話的な黎明期、三国の覇権争いと王国の統一、王統交代、海を渡りレキオの名を遥か彼方にまで轟かせた大交易時代、そして隣の軍事大国に侵略され滅亡に向かう近世。いつ作られたかも定かでない巨大な城塞、無数に存在する祈りの聖地、王の姉妹を頂点とする神女たちが謡う神託。これなんて大河ファンタジー?と言いたくなるような、生き生きした琉球王国の姿が浮かぶ。
また、明確な史料がほとんど現存せず、他国の歴史書や、歌い継がれた詩や、風化で消えかかった碑文や、失われた公文書の写しなどから朧げに推測するしかないという、その歴史の探り方まで含めて物語としてとても面白かった、なんて感想は不謹慎かもしれないが。
しかし、歴史がそんなふうにファンタスティックであるということが、実はその後と現在の現実をひどく生臭いものにしているのだなとも思った。どう生臭いかは言わずもがななので言わないが、ここはどこかの国の一部ではなかった、琉球という国だった、と押し出し強く言えないところがファンタジーじみた歴史の泣き所だったのではないか。神話とか言い伝えとか宗教書とか正史とか検閲教科書とかではなく、きちんと人文科学の形で(少なくとも他人がそう認める体裁で)歴史を持っていないと、後々ハイエナどもにいいように舐められるわけで、著者を含めた沖縄史学家の悲願もその辺りにあるのだろう。
歴史とは国益に直結するどころか国の存亡を左右するとんでもない実学だという、そんなことまで考えさせるとは、現実社会への照射力批評力においても琉球史はやっぱりハイ・ファンタジーとして読める。そういう命を吹き込む力が本書にはあった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2013年12月4日
読了日 : 2013年12月4日
本棚登録日 : 2013年12月2日

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