みんな「ゆとり教育」を誤解している。
単純に学習内容を削減して「ノラリクラリと暮らしましょうよ」というわけではなくて
戦後、発展途上真っ只中の
「全員が東大を目指す」「全員が同じ能力をつける」
っていう画一的な教育は当時はよかったけれど
もう成熟したと言ってもよい今の日本にはもう時代遅れじゃないかい?
みんな違っていいじゃない?
例えば学校のテストができなくったって芸術方面で凄い才能を発揮できればいいじゃない?「偏差値」っていうラベルで人を区分けする事は今の社会にまだ必要なのかい?それが人間の全てなのかい?
そんな事よりも必須としてやるべき事をコンパクトにまとめ、その他のオプション的なことの選択肢を増やそうよ!好きな事やろうぜ?自分の大好きな事見つけて没頭しようぜ!
というのが「ゆとり教育」なんだから
単純にテストで計れる「学力」(それが学力と呼ぶのなら)は落ちて当然じゃないですか。
しかし偏差値時代のおっさんはそれが怖いんですよね
日本はそういう変化をホントに恐れるようで。
考えてみてください
なぜバリバリ受験思考の韓国からノーベル賞受賞者が殆ど出ていないのかを。
なぜアメリカからあんなにノーベル賞受賞者が出ているのかを。
ただ、この「ゆとり教育」が成功しているのかそうでないのかはまだわかんないと僕は思ってます。
なぜなら日本の教育者がその「選択肢を増やす事」「個々の才能を伸ばす事」を意識できているのか、そしてそれを実行するだけの能力があるのか。疑問だからです。
果たして「学ぶ事は素晴らしい!」「学ぶ事が大好きだ!」と胸を張って言える人間が今の日本にどれだけいるだろうか。
その事に気づくことなくただ単に知識がなく、遊びほうけてそれこそカラッポの人間になっていやしないかい?そういう危機感は感じています。
結構考えさせられると共に自分自身の未熟さを痛感した一冊。
今の若い世代が日本の未来をどげんかせにゃいかんですよね。日々精進。
- 感想投稿日 : 2010年8月27日
- 読了日 : 2008年9月10日
- 本棚登録日 : 2010年8月27日
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