集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書 2203)

著者 :
  • 中央公論新社 (2013年2月22日発売)
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感想 : 61
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集合知とは何か、というタイトル通りの本です。
生命体の集合知では、クオリアという感覚質によって外界の情報を無意識にインプットされ、個体の記憶を基にして情報が再編される閉鎖的自律システム(オートポイエティック・システム)。時間や場所や心理状態が変われば、同じものを見ても感じ方が変わるのは当たり前。そしてその感じ方はその人個人のものなので閉鎖的である。
閉鎖的ならばどうやって他人とコミュニケートできるのか?完全なコミュニケートは不可能(個人の痛みを他人が完全に理解するのは無理!)だが、意識に上ったものは会話等によって意志疎通ができる。
人間個体を理解することで集合知を深く探求することはできる。
また、生命体の本質は閉鎖的自律システムなので、所謂『人間みたいなコンピュータ』は作れない。コンピュータは入力したデータに基づいて出力する(しかも出力情報はいつ引き出しても同じである)から開放型他律システムだからである。
さてネット集合知は専門知を超えることができるのか?その答えはまだ出ていない……。

読み応えがあり、難しいけれど、面白いです。
情報学の視点から人間を考えるとなるほどかようになるのかと感心しました。集合知というと、ネットワークや哲学がその学問領域になるかと思いましたが……、機械情報学からの出発が、生命システムに行き着く、そして再び機械情報学に戻るのは何だか不思議ですね。

インターネットが当たり前の時代において、人間に求められるのは、情報を加工する能力でしょう。知識自体はウェブ上にあるので、それらをうまく組み合わせて知恵を生み出す。
言ってみれば、レゴブロックがたくさんあっても、それを組み立てて遊ばないと意味がないのと同じです。お城を作ったり船を作ったり、組み立て方のパターンは無限にある中で、どういう組み合わせが適当か、考えなくてはなりません。
しかし、注意しなければならないのは、知恵が肝心だからといって、知識(レゴブロック)を疎かにしてはならないということです。知識がなければ閃きもない、よって『知識はネット上にあるからわざわざ記憶する必要がない』となってしまうと、知恵を生み出す素地が育たず、よい結果は得られないでしょう。要は下積みが大事ということです。

平野啓一郎さんの小説が気になりました。分人という概念は、ユングのペルソナと同じだと思いますが、確かに現代人は複数の人格を持ちすぎだと感じます。それらが一貫性をもったものならば、著者の言うように問題はないのかも知れませんが、うまく制御できないときは爆発しそうで恐いです。『いい人を演じるのも疲れた…』なんてのはよくある話で、そこは喜怒哀楽ある人間だから、あまりストレスを溜め込むことなく円滑に人間関係を進めたいものです。

僕の評価はA+にします。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年5月31日
読了日 : 2013年5月30日
本棚登録日 : 2013年5月31日

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