考えるマナー

著者 :
  • 中央公論新社 (2014年7月24日発売)
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感想 : 44
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先に読んだ「マナーの正体」がおもしろかったので、さかのぼってこれを。穂村弘・高橋秀実・三浦しをん・町田康、この顔ぶれにはワクワクし、実際に期待通りの面白さだった。みなさんユニークなスタイルの持ち主で、プロだなあと思う。

今回の「発見」は井上荒野さん。いやあ、どれもおもしろかった。笑えるし、そうそう!と思うことも多かった。いくつか挙げてみる。

「SNSのマナー」
SNSに「それで?」というボタンがあればいいという意見を紹介している。確かに。ただ著者は、SNSを「自己顕示欲が強いナルシストの集まり」と嫌う人にも一理あるとしながらも、そこには「限られた日々を生きる宿命を持つ」ものとして「今日という一日を生きた」ことを宣言したい気持ちがあるのではないかと書く。そうかもしれない。
「それにしても、文章とは正直なものである。投稿には嘘も書けるが、『なんだか真実味がない』感じは伝わってしまう。謙遜して書いても自慢していることはわかってしまう。簡単に言えば、書き手の性質や性格は絶対にあらわれる。 … その危険を冒してまで、(私を含めて)多くの者がSNSに投稿し続けている、人間というのはかように切ない生き物なのだ」

「名前のマナー」
「荒野」が本名というのは何かで読んで知っていた。この名前と「長年かけて折り合って」きて、今は「がんばりすぎの、ぎりぎり許容のレベルではないか」と思い、「自分の名前を気に入っている」そうだ。あくまで「今は」である。今や子どもの名付けは無法地帯だけど、著者が言うように「荒野」以上は「やりすぎ」だと思う。

「子どものマナー」
「子役の演技が苦手」という人は結構いると思う。じゃあ「子どもの投書」は?
「はっきり言えばつまらない。当たり前のことしか書いてないからだ。それなのにどうしてそういう投書が掲載されるのか?子どもが書いているからだ。いかにも『子どもらしい』社会批評であるからだ。そこに甘えと甘やかしがある。それがきらいだ」

ほかに、確かに!と思ったのが、楊逸さんの「駅名のマナー」。電車の音声案内で英語や中国語が流れると、「せせらぎのように」流れる言葉のなかで駅名だけが耳に引っかかると書かれている。本当にそうだ。
「人名や地名のような、他言語になっても、特徴が強く残る固有名詞は … いざ声に出せば、その異質さが俄然、際立ってしまう」
あの引っかかりは文化の違和感で、それはかなり強いものなのだなあと思う。

また、津村記久子さんが「同窓会のマナー」について書いているのだが、これがちょっと新鮮。同窓会については、楽しいという意見、行かないよという意見、様々あると思うが、こういうのは初めて目にして、おもしろい考え方だなあと思った。
「その場にいる人が皆同じ年齢だと、自分の成長の度合いがよく見える。でも同時に、何もかも持っている必要はないと感じた。わたしが持たない特質を、ほかの誰かが持っていて、その逆もある。それでいい。しがらみのない社会の縮図を改めて眺めるとそう思う」

平松洋子さんの「お断りのマナー」。いつからか世に氾濫する「大丈夫」。先日テレビを見ていたら、レストランのシェフが「お味の方は大丈夫でしょうか?」と尋ねていた。こ、ここまで来たか…。そもそもは婉曲なお断りの言葉として使われ出したと思うのだが、乱用されているのは、著者の言うとおり「その場その場に見合う言葉をあてがうのを面倒くさがっている」からだろう。
「『だいじょうぶ』と断るのは『察してくれ』と甘える変形なのだと思う」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ・紀行・回想
感想投稿日 : 2016年3月8日
読了日 : 2016年3月8日
本棚登録日 : 2016年3月8日

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