楽園のカンヴァス

著者 :
  • 新潮社 (2012年1月20日発売)
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感想 : 1363
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アンリ・ルソーの幻の名画を前に、2人のキュレーターがその真贋について判断を下す。
どちらの評価が正しいのか?
真実はどこにあるのか?

1983年、スイスのバーゼルのコレクター、バイラーに招待され
ティムはニューヨークから、織江はパリからバイラーの屋敷に向かう。
そこには、アンリ・ルソーの「夢」によく似た構図の作品が飾られていた。
1日1章ずつ物語を読み、7日間かけて判断をせよと、バイラーは言う。
果たして、その絵は真作なのか贋作なのか?
物語は誰によって書かれたのか?内容はフィクションなのか?

ティムに、なんとしても勝利をし、作品に関わる権利を手に入れよと、
複数の人間がコンタクトしてくる。
彼らは敵か、味方か?
目的は何なのか?
織江はどういう立場の人間なのか?
ティムの目線で語られるシーンが多いが、誰もが怪しく、
追い詰められるようで、ミステリーの要素もたっぷり。


キュレーターとして、活躍していたマハさん。
お気に入りの画家はルソーらしい。
そのせいか、読んでいると
ルソーに、芸術に、キュレーターという仕事に対する情熱が行間から窺える。
実に「濃い」作品になっていて、読む側にも気合が満ちてくるような気がした。

歴史とドラマ、事実と創作の境目がさっぱりわからず、混ぜこぜになって信じてしまい、
後々違う解釈を見て驚いたり、がっかりしたりの私。
今も「八重の桜」で松平容保@綾野剛クンに入れ込んで、苦しさの真っただ中にいる。

それでも、このお話のようなルソーに愛情を傾ける人たちによって、
芸術が受け継がれていくのなら、幸せだと思う。
その周りの人も愛情を注いだ分だけ、神様からご褒美を頂けるような
少しばかりの美しい真実に出会えたら、なおいいな。

史実にしても、身の回りの出来事にしても、
結局はある方向からの目線により語られるものであって、
たくさんの線を引いてなぞっても、完璧に再現できるかというと難しい。
真実とか、本当の思いとかって、どこにあるのでしょうね。
世間を騒がす歴史ネタも、昨日のケンカの理由も
すべてを明らかにしたいような、したくないような・・・。
だからこそ、小説になる余地があるわけで
まぁ、それを存分に楽しむのがよさそうです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 原田マハ
感想投稿日 : 2013年6月5日
読了日 : 2013年6月4日
本棚登録日 : 2013年6月4日

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コメント 5件

だいさんのコメント
2013/06/08

>真実とか、本当の思いとかって、どこにあるのでしょうね。

そりゃ、やっぱり、ココロのなかでしょう。

nico314さんのコメント
2013/06/08

だいさん、こんにちは!

ということは、ココロの数だけ真実の解釈が異なる可能性があるということなのでしょうか?

この頃、本を読んでいると、登場人物が互いにすれ違ったり、理解しあったりするのを、
雲の上から俯瞰しているような気持ちになることがあります。
そうなると過去にさかのぼって、あの時のあの人の胸の内はどうだったんだろう?とか、あの出来事に関わった人たちの思いはどうだったんだろう?などと考えてしまうのです。
多少ずれていても、結果オーライなら問題はないのですけどね。

だいさんのコメント
2013/06/09

nico314さん こんにちは

人間って、自分の中でしか考えられないと思いませんか?
例えば、私と nico314さん の目の前で、自転車が転んだとして、転んだ「事実」を見た瞬間からそれぞれ違った解釈をすると思いませんか?そして、お互いに説明し合っても、それは「事実」とは、異なっている、見て考えたこと。
なのだと思います(説明になっているかな?)
そして、自分の中でも、外からの影響で考え方など、変わっていく。

>多少ずれていても、
良い意味では、学習効果の快感であり、悪く取れば、論争やケンカになるのではないでしょうか?

nico314さんのコメント
2013/06/09

だいさん、コメントありがとうございます!

「話せばわかる」「分かり合える」という表面的な言葉を大人になって回避するようになりました。
幻想だなどと考えるのはあまりに悲観的かなとも思うのですが、その上で、解釈をすり合わせながら、お互いの認識する事実を重ね合わせる作業をするのは、
>自分の中でも、外からの影響で考え方など、変わっていく。
につながるということですよね。

だいさんのコメント
2013/06/11

そうです。同感。

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