読書状況 読み終わった [2012年7月23日]

1947年にハイエクの周囲でモンペルラン協会が組織され、 フリードマン、ミーゼズ、ポパーらが集い新自由主義の理論化が始まった。
彼らは自由市場原理主義を標榜し、国家の市場への介入を最低限にしなければならないと考えた。そこでは個人の自由は市場と商取引の自由により保証される。
その思想は階級の再編成のために援用されるようになる。金を持つものが、更に多く持てるようなシステムを作る為にである。そのために、公的資産の民営化、社会保証の縮小、自由貿易の促進のための規制緩和といった政策が行われる。完全雇用や社会的保護に重点を置く従来型のケインズ型の福祉国家の解体である。
アメリカの経済界は「政治活動委員会pacs」を形成し、共和、民主両政党に制限なしに献金出来ることで政治に強大な影響力を持ち、彼らに優位な政策を作り出している。
1970年代に金融界の策略により、チリ、そしてニューヨークにおいて最初の新自由主義政策が行われた。チリでは軍事クーデターにより、ニューヨークでは倒産に追い込むことで、既存の組織を解体し、そこで金融界に優遇的な政策を再編成するように要求する。その後も、このような方法をモデルケースとしてアメリカとIMFなどの機関により様々な国家において新自由主義体制への変更が遂行された。
IMFは外貨の不足した国を対象に緊急融資を行うが、その条件として民営化、規制緩和を強要する。そうして多国籍企業が新たな市場を得ることができ、より安価な労働力を得ることが可能となる。IMFの目的と機能は世界の主要金融機関を国の債務不履行の危険性から守ることである。つまり投資へのリスクを投資家が軽減できる仕組みとなっている。 国民を犠牲にさせてでも債務返済をさせようと国家に介入するのだ。
新自由主義体制は財政の危機の局面を利用して、または作り出し、その対策として採用される。レーガンもサッチャーも小泉もそうだった。危機において財政支出を緊縮し、制度を効率的な仕組みに改革する。
、国家介入を否定する新自由主義だが、良好な市場環境を作り出す為に、国家介入が極端なかたちで採られることが多くある。民主主義を否定するようなかたちで、金融システムの保全や金融機関への支払いを住民の福祉や環境の質より優先させる。 多数決よりも、司法、行政が好まれる。
個人単位での影響として、企業に優位なフレキシブルな雇用形態に変わることで雇用不安が生まれる、福祉、社会保証が縮小される。また社会的連帯の絆が解体されるため、宗教、ナショナリズムの勃興が現れるようになる、様々な局面で、自己責任というタームが自由と一緒に使われる。
新自由主義の本質は富と権力の集中だけであり、 その目標であった資本の蓄積という面においては完全に失敗している。

2012年5月18日

読書状況 読み終わった [2012年5月18日]

脱領域性、脱中心性、

外からの恐怖によって生み出された共通の敵に対する集団意識が、国家ネーションを生んだ。 画定された境界を超えてゆく活動がグローバリゼーション。

無国籍な文化は、地域を超え世界的な共通経験を創り出すが、場の共通感覚の解体としても機能する。
価値観、生活様式を共有するものは場所よりも、職業、貧富の差により影響される。

モノの生産が記号を生むのではなく、記号の生産がモノを作る。
現代の製造業は、生産部門を持つマーケティング会社。

発展途上国と多国籍企業の関係
発展途上国の工業化は、経済自立を目指した内向きの輸入代替戦略ではなく、輸出志向型の開発戦略を採ることでしか経済成長は出来なくなっている。
発展途上国の政府は、税制の優遇措置や、労働者の権利の制限をし、輸出加工区を建設し、企業の低賃金の下請け部門となる。

経済成長はより多くの雇用 を作り出せない。

移民労働者とwtc

グローバリゼーションを批判しつつナショナリズムに陥らないために

2012年5月18日

読書状況 読み終わった [2012年5月18日]

「桜の花が咲くのだよ」
「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「どういうわけで」
「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」
「花が咲くから、なぜさ」
「花の下は冷めたい風がはりつめているからだよ」
「花の下にかえ」
「花の下は涯がないからだよ」
「花の下がかえ」


「都ではお喋りができるから退屈しないよ。私は山は退屈で嫌いさ」
「お前はお喋りが退屈でないのか」
「あたりまえさ。誰だって喋っていれば退屈しないものだよ」
「俺は喋れば喋るほど退屈するのになあ」
「お前は喋らないから退屈なのさ」
「そんなことがあるものか。喋ると退屈するから喋らないのだ」
「でも喋ってごらんよ。きっと退屈を忘れるから」
「何を」
「何でも喋りたいことをさ」
「喋りたいことなんかあるものか」

東松照明の桜が似合う

2012年4月13日

読書状況 読み終わった [2012年4月13日]

科学の通説というものの機能不全に見られるように、信と知の乖離が起こっている。

ありうることは知っていた、しかしその可能性を信じてはいなかった。しかし、出来事が起きた後には、それはもともと十分に現実的だったこととして、つまりいつ起きても不思議がなかったこととして存在していたと見なされるようになる。

過去を事後の視点から眺めるときに現れるものに、必然的だったという以外に、別の可能性もありえたという考えもある。

別の可能性の希求は、現在への憂鬱や不安というかたちで無意識に常に潜在しており、それが未来の他者の現在における存在の仕方である。

どのようにしたら未来の他者へと配慮すること、連帯することが出来るのかが考察されている。

リスク社会におけるリスクは、一、極めて大きく致命的、二、その確率は非常に小さく、ときに計算不能、である。

2012年4月7日

読書状況 読み終わった [2012年4月7日]

日本での倭から平安時代までの間の、主に日本、朝鮮、中国における交易や文化の輸入輸出などの歴史について。
国を跨いだネットワークが国を築いて、また滅ぼす大きな要因となっているのだと感じた。その影には、ネットワーカーとしての交易者達がいた。
歴史で習う以上に古代から常に外部からの視線を国家が伺い、深く影響、規定されていたし、また物や思想も思っている以上に流動していたことが分かる。
中国型の権力構造を持つ天皇制国家と律令制、漢字の輸入、遣唐使など、中国が日本に与えた影響の大きさは目にする機会が多かったが、今まで、あまり語られてこなかった朝鮮の高句麗、百済、新羅との深い関わりについて書かれている。
むしろ朝鮮半島諸国、(始めは百済で、のちに新羅と)の関係の方が特に初期はより大きかったと述べられている。
中国は強大な国家としてあり、文化の発信源としてアジアの中心としてあり、日本は中国との繋がりを、朝鮮諸国を媒介として作っていた。
地理的に見てみると当たり前に朝鮮半島が中国との間にあることが分かるのだが。
仏教伝来にも、漢字伝来にも飛鳥の時代の百済からの渡来人達の技術無しにはなし得ないものだった。


また流動するネットワークの結節点としての港町、ネットワーカーの新羅商人たちについて、琉球の関わりなど非常に面白く、今まで知らなかった歴史を知ることが出来た。

2012年3月27日

読書状況 読み終わった [2012年3月27日]
読書状況 読み終わった [2012年3月27日]
読書状況 読み終わった [2012年3月27日]
読書状況 読み終わった [2012年3月27日]
読書状況 読み終わった [2012年3月27日]
読書状況 読み終わった [2012年3月6日]

潜在的な、可能態としての世界の相貌を現出させる写真の力。
写真は人間的な意味に収奪される以前の識閾下にある世界の眺めと手触りをとどめている。
人間の自然な視覚は、見たいものにフォーカスを当てる。ショアなどのパン・フォーカスによる細密な表面としての世界を見ることはできない。
ショアによれば、凹凸のない均質な肌理としての表層世界を見る者は精神によりフォーカスを合わせ直していて、その両眼にはあらゆる感覚が付随してくるのだという。
そのような、様々な感覚が仮託されたモノの表面に眼差しで触れにいく経験、 というのが写真を見る時の不思議な感覚の一つであり、快感にも繋がっているのだと感じた。
「撮影することは重要性を授けることである。」 ソンダグ

2012年3月6日

読書状況 読み終わった [2012年3月6日]
読書状況 読み終わった [2012年3月5日]
読書状況 読み終わった [2012年3月5日]
読書状況 読み終わった [2012年3月5日]
読書状況 読み終わった [2012年3月5日]

観察者とは、明らかに見るものではあるが、予め定められた可能性の集合の枠内で見る者であり、さまざまな約束事や限界のシステムに埋め込まれた存在である。

ーカメラ・オブスキュラに類似する視覚像(17.18世紀、再現=表層化の形式)ー
透明性を持つ外部(延長) と、その投射像を観察する精神(思惟)が働く場としての暗室(内部ー内面)。デカルト、ロック。フェルメールの地理学者、天文学者。室内。
ライプニッツのノマドにおいては、視野の円錐体の頂点としての窓から、世界が投影され、個体に折り込まれたそれぞれに異なる襞がスクリーンとなる。複数の個体がそれぞれの視点から遠近法的に世界を見るノマドに対して、神は平面図法で世界を俯瞰する。

ーステレオスコープ(19世紀、経験論的=超越論的な主体)ー
観察者の人間身体の不透明で不安定な生理機能と時間性の中にある知覚。
このような知覚から、生理学的観察者と、ロマン主義やモダニズムによって自分自身の視覚経験を能動的、自律的に産出する者としての観察者の二種類の観察者のモデルが現れる。
数量的に観測可能になってゆく、規格化、制御化される観察者と、芸術家たちの主観的な、意味作用を忘却することにより獲得された目の無垢、純粋視覚と呼ばれる視覚経験を持った観察者。
ゲーテは残像現象に注目したが、これは外部からの刺激なしに感覚が現前することであり、時間のなかで変容してゆく感覚であった。 このような視覚経験の主観性は、ターナーの絵画においても、網膜残像のように、滲み、混濁する太陽の光として見ることができる。
両眼視差を利用したステレオスコープは、 写真に先立ち、大衆の、イメージの複製という形で対象を所有するという欲望を生み出した。

2012年3月5日

読書状況 読み終わった [2012年3月5日]

モモから経済、金融について知りたくなってきて読んでみた。
金は時代とともに抽象化してゆくのだと思った。

2012年3月5日

読書状況 読み終わった [2012年3月5日]
読書状況 読み終わった [2012年2月1日]
読書状況 読み終わった [2012年2月1日]
読書状況 読み終わった [2012年2月1日]
読書状況 読み終わった [2011年12月3日]
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