ガリバー旅行記 (講談社文芸文庫 はF 1)

  • 講談社 (1995年6月1日発売)
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感想 : 5
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原民喜のガリバーは繊細です。
でもね、終わり方が不自然なんですよ。スパッと切れ落ちたように終わっちゃうんです。突然の終幕で「あれ?次のページが破れたのかな」なんて思ったほど。
例えば…浦島太郎が竜宮城から玉手箱を貰って帰りました、おしまい。みたいな。

きっと原作には最後の一文があるにちがいない!
と、変な確信をもって図書館で調べてみましたよー。
原作は読めないので、他者の翻訳を何冊か見ただけなんですが、やはり最後の章が存在していました。今までは旅のありのままの真実を受動的立場で書いてたのが、最終章ではガリバーは自分の思想を赤裸々に語っています。ガリバーという人間の核心部分です。かなり厳しい言葉で人間世界を叱責しています。

なぜ原民喜はこの部分を翻訳しなかったのでしょうか?
「ガリバー旅行記」云々よりも此方の方が気になります。
こんな事に気を捕られていては駄目なんですけどね。彼が伝えたかったことを全然受け取れていないです。ホント。もっとこの本自体について考えろっての。ホント。
でもやっぱりいろいろ推測してしまうのでそれを書きます。

民喜は広島で被爆しました。彼の原爆以後の小説でも広島の事がたくさん書かれています。その内容はとてもおぞましく、人間が人間ではない世界なのです。
もしかしたら民喜はガリバー本人のような状態だったのかもしれません。リアルにガリバー旅行記を体験してしまったのかもしれません。
彼は被爆のありのままの真実だけを書き、途切れる様に終わりました。
まるで彼が翻訳したガリバーと同じです。


他者のガリバー翻訳の最終章はどれも重く、結構考えさせられる内容でした。現実問題に置き換えて考えることもできる深い議題が含まれています。ただ、上記にも書いたように、ガリバーは痛烈に人間を批判し、孤立を選んでいます。

民喜としては、この部分を翻訳することは許せなかったのかも。
現実の世界、被爆からは未来への希望の小説は書けなかったけれど、
ガリバーの翻訳では最終章を読者の想像に(特に未来ある少年少女達に)任せたのだと思う。重く考えるのはもっと大人になってからでいい、このガリバーの未来は君達が想像して自由にしたらいいと。

もし「浦島太郎」を全く知らず、玉手箱を貰ったところで話が終わったら、あなたはどんな想像をしますか?まだまだ終わらない世界があるはずです。

原民喜のガリバー旅行記も終わらない世界を約束されている、と私は思うのです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2012年4月6日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年4月6日

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