性犯罪被害にあうということ

著者 :
  • 朝日新聞出版 (2008年4月22日発売)
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感想 : 67
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性犯罪被害に遭ったという悲惨な過去を背負い続けること、
その気持ちを本を通してというかたちであっても
垣間見る機会が持てるということは
この著者の勇気があってはじめて可能となる。
まず、その事実に感謝を表したい。

であるのだが、、、
読み進めていくと別の意味で異質な体験をしていくこととなった。

まえがきによると著者は
「被害者ってこんなに苦しいんです」と訴えている
ととらえられることがもっとも遺憾、なのだそう。
ある意味では著者の思惑通り、読んでいて著者の身勝手さばかりが
気になってしまう。

恋人や肉親、のちに通うカウンセラー養成機関の講師にいたるまで、
自分の望んだ反応を示さない相手に対して容赦なく批判し、つっぱね、
ときには面と向かって罵倒する。

人は相談を受けた時、沈黙を恐れるあまり
ベストではない受け答えをしてしまうこともある。
そういったことを著者は許すことができないようだ。

たとえつらい経験があったとしても、
人はこれほどまでに他人の善意を無下することができるものなのだろうか。
社会を批判し、「こんなこと私はわかっている」と毒づき、
被害を受けた後に事情をわかった上で結婚した相手に一方的な我儘から
離婚をつきつける。

読み進めていくと、
「性犯罪被害者だから」荒んでしまった、というよりは
幼い頃からしばしば両親から暴力を受けていた、ということが
それら身勝手な言動の要因であるように思えてきた。

そういう意味では、この本のタイトルは適当ではないといえる。

事件当時別れたばかりだった元恋人を巻き込み、
その後ほどなく知り合った男性と同棲、など
周囲に構ってもらうことでアイデンティティを感じる著者は
今ひとつ一般的な「被害者」イメージとかぶってこない。

その後、自分の身勝手を棚に上げて
社会を変えよう、という目的を抱き始める。

他の種類の犯罪被害を考える活動についても言えることだと思うが、
被害経験者⇒上位、
経験者に都合のよい意見を持つ人⇒中位
経験者にとって都合のよくない人⇒下位、
となりがちで、閉ざされた学問のようになり客観的公平性がみえない。

「経験したのは私だ」のひとことで全てが終わってしまう。

終盤にくると、「親にはどうせ言ってもわかってもらえないから
言うのをやめた。そうしたらうまくいくようになった。」とある。
はたして著者は何を伝えたかったのか?
ただ「どうせわかるわけがない」と言いたいだけだったら
それは何のためにもならない自己満足だろう。

このタイトルをみて本を手に取った人にとって、
恐らく知りたいことは「一般的に性犯罪被害者に対して
どういう助けが必要なのだろう」ということだと思う。
その答えにあたるような部分はついに見つからなかった。
「私という個をわかってよ」という酔客の居酒屋での主張のようだ。

さて、著者はその後、
経験を生かして弁護士会で法律相談を受ける職を得ることになったそうだ。
現在は性犯罪被害者支援の活動をしているとのこと。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 他の方の考え方
感想投稿日 : 2011年6月28日
読了日 : 2011年6月30日
本棚登録日 : 2011年6月30日

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