司馬遼太郎の歴史小説は誰もが納得のおもしろさ。多くの日本人に読まれ、そこで描かれる歴史上の人物のリアルさに興奮する。しかし、彼は小説家だ。彼の描く歴史小説には多くのフィクションを含んでいるし、都合の悪い事実を省くことだってある。そんなことは当然だが、あまりに偉大になりすぎた作家ゆえに、司馬遼太郎の描くものは史実であると勘違いする読者が多い。
歴史学者である著者は、そんな世の中に警鐘を鳴らし、正しい歴史を語る。
その例として、取り上げるのが「世に棲む日日」の吉田松陰と高杉晋作、「竜馬がゆく」の坂本龍馬。この3人が本当はどんな人間であったのか、司馬遼太郎の見方ではなく、歴史学者として彼らを評価する。
司馬小説では、常に国や仲間のことを想い、時には超人的な活躍をする彼らだが、それは小説の中でのこと。教育者として崇められる松陰の目指したのはテロによる革命だ。晋作が身分差別のない軍隊として作った奇兵隊は、結局、愚連隊となり破滅する。薩長同盟や大政奉還において龍馬はいてもいなくてもいい存在だった。
史実はそんなものらしい。だからといって、司馬作品が歴史捏造のペテンと批判する必要もない。司馬作品は小説なのだから。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
歴史モノ
- 感想投稿日 : 2016年1月15日
- 読了日 : 2016年1月15日
- 本棚登録日 : 2016年1月15日
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