リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)

著者 :
  • 医学書院 (2009年12月1日発売)
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感想 : 67
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人権啓発冊子「TOKYO人権vol.56(2012年冬号 (公財)東京都人権啓発センター発行)」のインタビュー記事で著者を知った。
表紙は電動車いすに乗り微笑む著者の写真。肘と手首とがほぼ逆方向に曲がっている。
記事を読むと、自分の考えを明晰かつわかりやすく伝える著者の能力の高さに驚いた。“現代日本の混迷を救う若き知性の一人”になりうるポテンシャルを感じた。

そういう知的な著者が、この本では機能回復訓練よりも、終わった後に床に寝そべるしかできない自分自身のほうに心地よさを感じ、失禁してしまった後、自分の対処できなさを改めて思い、官能的な思いに満たされる。
ヌメヌメとも言えるこの感覚。読み手の感性に直接舐めつけてくるような。
でも、私は啓発冊子のほうを先に読んでいたから、ピンときた。ーー熊谷さんは、わかってて、やっている。
体験できない人に自分の体験をそのままの形で伝えるのは難しい。だから熊谷さんは、だれもが体験可能な官能への訴えかけという手法をとったのだろう。

啓発冊子によると、熊谷さんが幼い頃は「“健常な動き”ができるようにと、自分の身体には合わない動きを強いられるリハビリ中心の生活」。
そのような強いられた生活-まるで見つめられるような-から抜け出たいという希求が、床に転がることの安心感や、失禁するまでの焦りよりも失禁後の絶望感に快楽を見出すような感覚につながったのでは、と思う。
つまり官能への訴えかけは、世間一般の障がいに対する先入観を叩き壊すために最も手っ取り早い方法ってことなんだろう。
まるで、熊谷さんがその曲がった腕でハンマーを持って、見えない世間の強固な壁を完膚無きまでに打ち壊そうとする姿が見えるようだ。

そして著者は、健常な動きを目指した、単線的で目標が1つしかないリハビリの手法を「遊びや隙間がない」と表現し、逆に障がい者の生活スタイルは本来、多くの遊びや隙間を持つことで「健常化」するという論を進める。
著者自身が絶望や失敗から受けた官能から、いわゆる正攻法のリハビリによってではなく、遊びや隙間にユルく入り込むような様々な試行によって新たに意味を持つ1つの動作として形が出来る様は、健常者側が抱く不安や疑問から、共有できる知的な理論へと、まるでオセロの一手で黒から白へ一気に色が変わるような劇的な展開として現れる。

先に書いたハンマーで壁を壊す話、実際に曲がった腕でハンマーを振り回すのは困難だ。
でも熊谷さんなら、遊びや隙間をうまく使って、何らかの方法(それが他人を使うのか、あるいは道具を付け足すのかは問わないけど)を組み合わせることで、ハンマーで壁を壊すという結果を最終的に手に入れられるに違いない。そんな思いにまで至る。

啓発冊子にはほかに『ガチガチに固定されているシステムは、揺らぐことができる「余白」、その場の状況に応じた選択・決定を可能にする余地や余裕がないために、リスクが高く、効率も悪いものです』、『たった一人で抱えてきたことを他人に話し、分かち合うことができるようになって、「もう大丈夫」と思えるようになった』という記述もある。
これらの熊谷さんの発想は、障がい者に限らず、私たち全体にも広く応用できる有用なヒントになりうるはずだ。
(2013/2/20)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年11月8日
読了日 : 2013年2月20日
本棚登録日 : 2015年11月8日

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